自己実現と教育法 ―柔道に教えられ、学んだこと―(全10回)

第8回「オレは世界で一番幸せな男」



第1回 「同級生から贈られた表彰状」
第2回 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
第3回 「気づきのヒント」
第4回 「問題児という固定概念」
第5回 「自分のことは自分が一番よく知っている?」
第6回 「日本人にとってのスポーツ」
第7回 「夢を実現するために」
第9回 「イギリス留学で得たもの」
第10回 「偉大な先生の教えを胸に」

準決勝が終わって、あとは泣いても笑ってももう1試合、エジプトのラシュワン選手との決勝戦だけです。控え室に戻った私は、大切な試合でいつもそうするように、メンタルリハーサルをしようとしました。頭の中で相手と自分を戦わせて、どうしたら自分の一番強いところを相手の一番弱いところにぶつけられるか、相手がこう来たら自分はどういくか、いろいろな展開を想定してイメージトレーニングのおさらいをするわけです。世界選手権や全日本選手権などの大切な試合をするときは、たとえよく知っている選手でもできるだけ新しい情報を集めて、必ずこうやって頭の中でイメージしていました。  しかしこのときは、軸足のケガというそれまでにないアクシデントが起こったので、どう戦ったら相手を倒せるかという展開、方法が浮かんでこないんですね。ラシュワン選手のことはよく研究したし、イメージトレーニングもしっかりやったのに、そんなことは初めてでした。

 そうしている間に、控え室に私の恩師の佐藤先生が入ってこられた。ロサンゼルス・オリンピックのとき、私がもっとも尊敬している、もっとも頼りにしている先生がこの時日本チームの監督だったことは、私にとって大きな幸運でした。佐藤先生はこう言われました。「泰裕、投げられてもいいぞ。投げられても一本じゃなければ試合は終わらないんだから。わざと投げさせて、しがみついて、お前の得意な寝技に持っていく手もあるぞ」。私が練習でわざと投げられるというのは、小学生や女子とやる以外ないんですけれども(笑)、たしかに寝技になれば肘や膝がつけますから、ケガした足にかかる負担はすごく減るんですね。だから、なるほど、寝技に持っていけばチャンスはあるなと。しかし、どうやって寝技に持ち込むかとなると、やはりイメージが沸いてきませんでした。

 いよいよ決勝戦に向かうとき、佐藤先生は「泰裕、この試合でオレとお前の師弟関係は終わりにしよう」とおっしゃいました。たぶん先生は、「これが現役最後の試合と思っていけ」と言いたかったのだと思います。

 試合場でラシュワン選手と向かい合った私は、「チャンスは必ず来る。どういう展開になるかは分からないが、1回は絶対に来る。そのチャンスを有効に使うために、自分から思い切って向かって行こう」と思いました。ラシュワン選手は自信満々。試合が始まってすぐ、思い切って技をかけてきました。このとき、私の体が勝手に、無意識に反応して、相手の技が空振りして倒れた。頭ではまったく考えていなかった展開です。私は夢中でラシュワン選手を抑え込み、横四方固めで勝つことができました。

 不思議なもので、試合中はかなり足を引きずっていましたけれども、気持ちが相手に向かっているせいか、痛かったという記憶はないんですね。試合が終わった瞬間から痛くなるんです。ですから、全部の試合が終わった表彰式のときは、足の痛みがかなり気になりましたね。

 でも、表彰台の一番高い所に上がったとき、私は心からこう思いました。「ああ、オレは世界で一番幸せな男なんじゃないかなあ」って。金メダルを胸にかけて、日の丸を見ている……。子供の頃の書いた作文そのままの夢が、本当に実現したんですから。

 オリンピックでは素晴らしい友情も生まれました。実は決勝戦の前、控え室で一人で出番を待っているとき、私がケガをした2回戦の相手のシュナーベル選手が来たんです。彼は申し訳なさそうな顔をして、「ヤマシタ、お前が足を痛めたのはオレのせいか? オレが変なことをしたからケガをしたのか?」と聞きました。私が正直に「いや、違う。このケガはお前には何の関係もない。心配しないでくれ」と答えますと、彼は「足が痛いだろうが決勝は頑張ってくれ」と言い残して出ていきました。

 また、表彰台に上がるときも、降りるときも、ラシュワン選手は私の足を気遣って手を差し伸べてくれました。私たち選手は、オリンピックとか世界選手権では、それぞれの国の代表としての誇りと名誉をかけて、徹底的に戦って戦って戦い抜きます。しかし、ひとたび試合場を降りれば、どちらも柔道選手として頑張っているからこそ、お互いを理解でき、尊敬できるんです。ロサンゼルスオリンピックは私の夢がかなっただけでなく、そういう友情を強く感じた大会でもありました。






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