自己実現と教育法 ―柔道に教えられ、学んだこと―(全10回)

第6回「日本人にとってのスポーツ」



第1回 「同級生から贈られた表彰状」
第2回 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
第3回 「気づきのヒント」
第4回 「問題児という固定概念」
第5回 「自分のことは自分が一番よく知っている?」
第7回 「夢を実現するために」
第8回 「オレは世界で一番幸せな男」
第9回 「イギリス留学で得たもの」
第10回 「偉大な先生の教えを胸に」

“幻のモスクワ五輪代表”となり、オリンピックと政治、世界と日本のスポーツ観の違いなどについて考えさせられる。平成9年12月、参議院文教委員会に参考人として出席した際の“本音発言”



 私の子供の頃からの夢は、オリンピックで勝つことでした。その夢は1984年のロスアンゼルス・オリンピックでかないましたが、それまでにも、夢が現実になりそうなチャンスが二度ありました。最初は1976年のモントリオール・オリンピック。このとき私は大学1年で、自分なりに頑張って最終選考会に残りましたが、今一歩及ばず、補欠でした。次は1980年のモスクワ・オリンピックです。このときは選考会で足を骨折しましたけれども、代表に選ばれました。しかし、その直前に、日本はオリンピックに参加しないことが決定していたんです。

 代表に選ばれながらオリンピックに出場できなかった選手のことを、マスコミは“幻のオリンピック選手”と呼びました。柔道には私を含めて7人の幻のオリンピック選手がいまして、全員がオリンピック初出場だったんですが、結果 的に、4年後のロサンゼルス・オリンピックを目指していく課程で、私以外の6人の先輩方が現役を引退されていきました。見る側にとっては4年に一度のオリンピックですが、大半の選手にとっては一生に一度のチャンスです。勝負の世界で自分のピークを長い時間維持していく、あるいは世界のトップで頑張り続けるというのは容易なことじゃありません。そういうことも全部含めて、モスクワ・オリンピック不参加のときは、日本と世界のスポーツに対する認識の違いを強く感じました。

 たとえば、日本では日本オリンピック委員会から「あなたは今回のモスクワ・オリンピックの代表に選ばれました」という認定書が1枚来ただけで、不参加についての説明は何もありませんでしたが、アメリカでは当時のカーター大統領がホワイトハウスにオリンピック代表選手、役員を全員招いて、直接話をされたそうです。なぜアメリカはモスクワ・オリンピックをボイコットしなければならないのか、そのことについての自分の意見を話して、最後に「皆さんには申し訳ないが、アメリカ合衆国のために私の決定を理解してほしい」とすべてのテーブルを回った。私のアメリカ人の友人は、そのときカーター大統領と一緒に撮った写 真を誇らしげに部屋に飾っていました。

 もちろん、モスクワ・オリンピックのボイコットはもう19年も前のことで、最近は日本でも少しずつ状況が変わってきています。実は去年の12月に、参議院の文教委員会に参考人として呼ばれました。「参考人って、お前、何か悪いことをしたのか」と友人に聞かれましたけれども(笑い)、要するに、国会議員の先生方がスポーツのことに関して専門の人から意見を聞きたい、ということなんですね。

 そこで15分くらい、スポーツ振興に対する私の考えを話しました。 その後で今度は質疑応答があって、先生方から1分間に3つくらい質問をされる。本当にもう、胃が痛くなるような中で、先生方から「山下さんの話を聞いて日本のスポーツ振興は遅れていると思った」「政治が関わるのはやはりまずいと反省させられた」というような感想も出たんですが、「それにしてもなぜ日本はこんなにスポーツ振興が遅れているんですかね」と聞かれて、とっさに「スポーツは票に結びつかないから政治家の先生方の関心が低いんじゃないかと思います」と言ってしまったんですね。しゃべりながら、あっしまったと思いましたけれども、あんまり嘘をつくのが上手くないから、つい思っている通 りを口にしてしまった。まあ、そんなこともありまして、最近は日本でもいろいろな形でスポーツへの関心が高まってきていますし、さらに高まっていくように、私も精一杯努力したいと思っています。






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