自己実現と教育法 ―柔道に教えられ、学んだこと―(全10回)

第4回「問題児という固定概念」



第1回 「同級生から贈られた表彰状」
第2回 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
第3回 「気づきのヒント」
第5回 「自分のことは自分が一番よく知っている?」
第6回 「日本人にとってのスポーツ」
第7回 「夢を実現するために」
第8回 「オレは世界で一番幸せな男」
第9回 「イギリス留学で得たもの」
第10回 「偉大な先生の教えを胸に」

 人が人を変えることは難しい。けれども自分自身で気づけば、人はいくらでも自分の望む方向へ自分自身を変えていけるんじゃないか……。そんな風に考え始めてから、それまでの自分をあらためて振り返ってみますと、ああ、私にもいろんな気づきがあったなと思うんですね。今の私にとくに影響の大きかった二つの気づきについてお話したいと思います。

 一つは7、8年前、東海大学柔道部の監督をしながら全日本のナショナルチームのコーチもしていた頃のことです。全日本の仕事は非常に忙しく、私は年間100日くらい大学を離れていました。もちろん、大学においては大学柔道日本一を目指して100名の部員と共に頑張っていましたが、今より全く指導者として未熟でしたし、留守がちなことで焦りの気持ちもあったかもしれません。部員の中に一人、練習をサボったり部の決まりを破ったりする者がおりまして、私はその学生をずっと問題児だと決めつけていたんですね。自分だけじゃなく仲間も引き摺り出すものですから、会うたびに叱ったり小言を言ったりしていた。正直なところ、心の中では「お前がいるのは迷惑だ」とさえ思っていました。

 そんなある日、一本の電話がありました。岡山県に住む白血病のお子さんを持つお母さんからです。「東海大の病院に病気の治療、骨髄移植のために来ているが、治療には多くの輸血が必要で、伊勢原市内の学校や市役所を回ったが協力者がない。東海大には柔道の山下さんがいる、柔道部の皆さんに協力してもらえるかもしれないと思いつき、突然だけれども電話をした」というわけです。それで、病院の担当の先生に直接電話して聞きましたら、「同じ血液型でもごくタイプの似たものが必要で、しかもいざ輸血となったら24時間以内に二人駆けつけてもらわなければならない」と。うちの柔道部には当時も今も約100人の部員がいますが、そういう条件だととても100人じゃ足りない。

 結局、サッカー部と剣道部にも協力してもらい、20人くらいの同タイプの学生のリストを用意して、連絡があったらすぐ行けるようにしよう、ということになりました。その20人の中に、私がとんでもないヤツだ、問題児だと思っていた学生がいたんです。

 最終的に、その息子さんはお父さんの骨髄を移植されて、岡山で元気に頑張っておられます。私が驚いたのは、退院のときお母さんがお礼に来られて、その学生の話をされたときでした。大学から病院までは電車とバスで1時間かかるんですが、彼は授業の合間に何度も病院を訪れて、手紙も書いて、その子を励ましていたんです。「私もうちの息子もどれだけ元気づけられたことか。本当に感謝しています」とおっしゃって、お母さんは涙を流さんばかりでした。

 その話を聞いて、その学生に対する私の気持ちは変わりました。まず、その日に柔道部員を全員集めて、その子が元気に退院したことを報告し、それから4年生の○○君が彼をとても勇気づけてくれたと話して、みんなで拍手をしました。そして私は「いやあ、いいことしたな。お前がやったことは素晴らしい。これからもその気持ちを大事にしていけよ」とその学生の手を固く握りしめました。よくよく考えてみますと、その学生にとっては、はじめて私に褒められた、認められた瞬間だったんじゃないかなと思うんです。
 彼は高校生までは兵庫県で柔道で名が通っていたほど強かった。しかし、東海大学は過去20年間の学生大会で10回以上優勝と全体のレベルが高いですから、「これじゃ俺が一生懸命頑張っても試合に出られるチャンスはないなあ」と感じて、実際試合に出られない。努力した成果 の発表の場がないとなると、だんだん練習に対する意欲が薄れてくる。薄れるから怒られる。怒られるからもっとやる気がなくなって、私の顔を見たくなくなる……。そういう悪循環だったんじゃないかと思います。

 次の日から彼の練習に対する姿勢が変わりました。「頑張ってるか」「ハイ、頑張ってます」「その調子でいけよ。お前が頑張ってるのを俺はよく見てるぞ」。そんなやりとりができるようになり、実際、彼は非常に努力を積みました。残念ながら試合に出ることはできませんでしたが、就職活動では先生方に一切頼らず、自力で大手の一流電気会社の本社に入って、現在も立派に社会人として頑張っています。

 彼は私に何を気づかせてくれたか。それは、人間には誰しも悪い所と良い所、足りない面 と素晴らしい面があり、一面からだけでなく、多面的に、あるいは全体として見たりしなければ、その人の本当の人格は見えてこない、ということです。まだまだ出来の悪い指導者なものですから、学生を教えながら今も多くを学ばせてもらっていますが、その中でもあの出来事は大きな気づきだったと思います。

 また、本来人間が持っている思いやりとか、いたわりとか、そういう気持ちの大切さにも、あらためて気づかされたように思います。岡山のご家族が帰られたあと、「お父さん、骨髄バンクに登録しようか」と女房から提案がありまして、二人で登録したんですけれども、聞くところによるとここ1、2年、登録数が急激に増えているそうです。

 骨髄バンクだけじゃありません。最近少しずつ、いろんな面 で、そういう気持ちを大切にしたいという人が増えていると思います。しかし、自分がよければいい、自分の家族がよければいい、あるいは自分の会社がよければいいというようなエゴが、社会全体にまだまだ強い。困っている人、苦しんでいる人、弱者、そういう人たちに誰もが気軽に手を差しのべて、共存して生きていける世の中に早くなってほしいと思います。






Copyright 2001 Yasuhiro Yamashita. All rights reserved.
Maintained online by webmaster@yamashitayasuhiro.com.