自己実現と教育法 ―柔道に教えられ、学んだこと―(全10回)

第7回「夢を実現するために」



第1回 「同級生から贈られた表彰状」
第2回 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
第3回 「気づきのヒント」
第4回 「問題児という固定概念」
第5回 「自分のことは自分が一番よく知っている?」
第6回 「日本人にとってのスポーツ」
第8回 「オレは世界で一番幸せな男」
第9回 「イギリス留学で得たもの」
第10回 「偉大な先生の教えを胸に」

私の現役時代で一番華やかだったのは、1984年のロサンゼルス五輪です。オリンピックで日の丸をあげることは、子供のころからの私の夢でした。ロス五輪当時。私は選手としてピークを過ぎていましたが、幸せなことに、その夢を実現することができました。それは、夢をずっと持ち続けて、最後まであきらめなかったからだと思います。

以前、宇宙飛行士の向井千秋さんが、「私が宇宙飛行士になれたのはずっと夢を持ち続けたから」と子供たちに話しておられるのを聞いたことがありますが、私もまったく同感です。いろいろな方の話を聞いたり、勉強していますと、どうも人間というのは、一つの夢を目標としてイメージしていると、無意識のうちにそっちの方向に動き始めるらしい。私自身、本当にそうだなあという実感があります。もちろん、夢をかなえるのは簡単ではないけれども、たとえ少しずつでも目標に向かって進む毎日は充実感があるし、何かをやり遂げたときの喜びも大きい。その意味で、若い人たちにはもっと夢を、ロマンを持ってほしい、大きな目標を持ってほしいと、最近非常に強く思っています。

ロサンゼルス・オリンピックには、モスクワ・オリンピックの不参加で無念の気持ちで引退していく先輩方を見ていたこともあって、私は「これが最後のチャンス。一日一日悔いを残さないようにしよう」という思い出いで臨みました。成田を発って、ロス空港で飛行機から降りるときは、「やれることはすべてやった。あとは日本でやってきたことをいかに出しきるかだけだ」という気持ちでした。

私が出場したのは柔道競技最終日の無差別級で、新聞など、周囲の戦前の予想は「山下は楽勝だろう」という感じでした。けれども、本当に試合というのは何が起きるかわからないもので、私は西ドイツのシュナーベルという選手との2回戦で、右足のふくらはぎを肉離れしてしまった。左組みの私にとって、右足は大切な軸足です。内股にいったとき、「アッ、しまった!」とすぐにわかりました。次の瞬間に思ったのが、「ケガをしたことを絶対に相手に知られてはならない」ということです。必死で戦って、結局その試合は送り襟絞めで勝ちまして、試合場から降りる時は「絶対に足を引きずってはダメだ!」と、自分としては普通 に歩いたつもりでした。ところが、諸先生方や仲間の選手たちが「どうした、どこをケガしたんだ!」って、心配そうな顔で駆け寄ってきた。あとでビデオを見たら、実際には顔面 蒼白で、足もひきずっていて、誰が見てもケガをしたとわかるんですが、勝負の世界では自分の弱点をさらけ出すのは致命的なことですからね、そのときはケガをしたこと自体より、それが対戦相手にわかってしまうことの方がショックでした。

控え室に帰った私は、正直言って落ち込みました。落ち込んでいる間にも次の試合の出番は刻一刻と近づいてくる。私は思いきって開き直りました。「もう仕方ないじゃないか。いくら足を引きずってもいいよ。ただし、決して痛そうな顔をしない。相手を見据えて胸を張っていけ」と、そう自分に言い聞かせて準決勝に臨みました。私はスポーツに関しては、最後の最後まで自分を信じること、万が一信じられないときは開き直ること、この二つの方法以外ではそのときの自分の力を出しきるのは難しいと思うんです。

準決勝の相手はデル・コロンボというフランスの選手でした。幸いにも、私にとってはやりやすいタイプです。しかしこの時の試合展開はまったく違うもので、試合が始まって30秒くらいで投げられてしまいました。彼が大外刈にくるのは判りました。本来なら、相手が近づいてきた時点で自分の体が反応しなきゃいけないわけです。どんなスポーツでもあるレベルより上に行くと、頭で思うのと体が反応するのはとがほとんど同時になります。「今だ!」と思った瞬間に体がチャンスを活かせるように動いたり、「来たな!」と思った瞬間に相手の攻めに対応できるようになっていたり、また、頭で考えなくても、勝手に体が反応することも珍しくありません。普通 であれば、100回やったら100回ですね。それが、このときは頭では察知していてもケガした足が動かなかった。余裕をもって受けたつもりが棒立ち。思わず体をひねって逃れましたが、一番小さなポイントの「効果 」を取られました。

私が投げられてポイントを取られたのは本当に久しぶりだったので(1978年11月の嘉納杯・対チューリン戦以来)、会場はザワつきました。私もその直後は、頭がボーッとして靄がかかった感じで、他人事のように「ハア、もしかしたらここで負けてしまうのかな」という気持ちになりました。でも次の瞬間に自分の内側から「なんだ、お前は今まで頑張ります、頑張りますといって、その程度の頑張りだったのか。おまえはオリンピックにこんな無様な試合をするために来たのか」と厳しく激しい声が聞こえてきた。それでハッと我に帰ったんですね。「いや違う!不様な試合をしに来たんじゃない。この程度のケガで負けてたまるか!」。立ち上がって相手に向かっていくときは、心の中でそう叫んでいました。 勝負というのは面白いもので、相手は私から取ったポイントを守ろうと、攻めの柔道から守りの柔道になりました。柔道だけじゃなく、心も守りになり、逃げの姿勢になったんですね。勝負には攻めてるときもあれば守るときもある。私は、歯を食いしばってでもしのがなければいけない守りのときのほうが強い心が必要だと思うんです。戦いの形は守っていても、心は絶対に守りに入らない。気持ちをグーッと相手に向けて、一歩も下がらない、とね。結果 的にはこの準決勝は、守りに入った選手のスキをついて、大外刈りと横四方固めの合わせ技で私が逆転勝ちしました。一度は「負けるかもしれない」という気持ちになったこの試合は、心の奥底に、最後の最後まで夢をあきらめない気持ちがあったから勝てたのかな、と思います。


● オマケのこぼれ話● ポイントを取られたあと、テル・コロンボ選手に向かっていく山下選手はまさに“鬼神”の迫力でした。顔つきもすっかり穏やかになった今、現役時代をご存知無い方は想像できないかも知れませんが、観ている側は感動で鳥肌状態、相手のテル・コロンボ選手は恐怖でヘビに睨まれたカエル状態です。テル・コロンボ選手はその後の取材で、「ケガをしていたヤマシタはそれまでで最高に強かった。私は彼からポイントを取ったために、そのあとは逆にすくんでしまうことになった」と語っていました。(星野真理子)





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