日本柔道が果たすべき役割−人づくりと国際交流−
武道 2002−01
 
日本柔道が果たすべき役割‐人づくりと国際交流‐

 日本の柔道が果たすべき役割について、教育という点と、それからもう一つ、国際交流、この二点に絞って話をしたいと思います。
 私自身、小さい頃はものすごく暴れん坊で、周りに迷惑ばかりかけていました。小学校では、私がいるから学校に行きたくない、といって登校拒否を起こす同級生もいました。熊本弁で「悪ごろ」と言いますが、問題児だったことは間違いありません。
 1984年ロサンゼルスオリンピックで優勝して故郷に帰った時、小学校時代の同級生が集まって祝賀会を開いてくれました。その折りに、次のような表彰状をいただきました。
 「あなたは小学生の頃、その比類稀なる体を持て余し、教室で暴れたり、仲間をいじめたりして我々同級生に多大な迷惑をかけました。しかし今回のオリンピックにおいては我々同級生の期待に応え、不慮のけがにもかかわらず、持ち前の闘魂を発揮して、見事金メダルに輝かれました。このことはあなたの小学校時代の数々の悪行を精算してあり余るだけでなく、我々同級生の心から誇りとするものであります」
 子ども時代、さんざん悪さをしていた私が柔道を通じて、変わっていきました。柔道と出合い、すばらしい先生との出会いを通 して、自分自身が作られていったような気がします。私がご指導を受けた中学、高校時代の白石礼介先生、それから高校の途中から現役を引退するまでの佐藤宣践先生の両先生は、超がつくほど一流のすばらしい先生でした。しかし、その教えは畳の上、試合場で相手を倒すことだけではありませんでした。道の教えがありました。柔道より、人間としてのあり方を繰り返し教えて下さいました。柔道で頂点を極める、勝ちを求めるのはもちろん大事ですが、その過程で、人間性を磨いていく、人格を高めていく、という教えがあったのだと思います。
 私が一番心配しているのは、だんだん我々の柔道の教えの中で、柔道を通 した人間づくり、という視点が欠けてきているのではないかということです。
 柔道界の現状を見ていて、非常に気になることがあります。それは、中学、高校、大学で活躍している選手たちの中に、学問に対する意識が非常に低くなっているのではないか、ということです。文武両道の精神が失われてきているのではないでしょうか。勉強ができないとかではなくて、その必要性すら感じていない者が多くなってきているような気がします。それが「勝てばいいだろ」「勝ちがすべてだ」という意識につながっているのだと思います。
 私の恩師は、「柔道のチャンピオンを目指す中で、多くのことを学び、それを活かして人生の勝利者を目指せ」と繰り返し教えてくださいました。文武両道の精神がなくても柔道のチャンピオンにはなれるかもしれません。しかし、社会人としての勝利者になれるのでしょうか。
 学生時代だけではなくて、我々はやはり人生を通して学び続けていく姿勢というのが大切です。これは選手たちの問題であるという以前に、我々指導者の意識の問題ではないかと強く思います。


  嘉納治五郎先生の原点に返る
柔道を通じた人づくり
 





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