自分を変えること。
それをやっていなかったら、日本柔道は大惨敗をしていたでしょう。



「明治製菓 季刊誌」

 「柔道界に一石を投じようと思うんです。それも、大きな石です」――1992年、山下泰裕氏が柔道日本代表(男子)の監督を引き受けた時の言葉である。

 山下氏の改革はコーチ時代から始まっている。
 「周囲の抵抗は少なからずありました。それまで、柔道選手として実績を持った人が中心になって、柔道経験者だけで選手を育てていこうという考え方しかありませんでしたから。僕は自分の力の限界を知ることから始めたんです」
 山下氏はこの時、一見して柔道とは無関係と思える競技、スキー、スピードスケート、水泳などの指導者を積極的に訪ねた。
 「どういう強化方法を採っているのか。どういう医科学的なサポートを受けているのか。道場に閉じこもっていたらわからなくなった、多くのものを教えていただきました」
 そして山下氏は、サプリメントのメーカーを訪ねて歩いた。栄養に関するサポート体制について、きめ細かく問い合わせ、担当者に「これだけのサポートが受けられますか」と聞いた。検討の結果 、非公式ながらザバスの栄養指導を受けることになった日本柔道は、バルセロナオリンピックで大きな成果 を上げることになる。
 「オリンピックの第一次予選で初戦敗退した代表選手がいたんです。原因は減量 の失敗でした」
 その選手は、栄養指導を軽視していた。「飲まず食わず、サウナ漬け」というやり方で、試合前に約10キロもの減量 を強いられていた。
 「しかし栄養の指導を受け、正しく食事し、サプリメントを採ることで減量 が非常に楽になったんですね」
 ザバスの栄養スタッフはまず、1日3回の食事を規則正しく採ることを選手と確認した。それでも体重がみるみる落ち、コンディションを維持できることに選手は驚愕した。
 「この方法をもっと早く知っていれば、苦しい思いをすることもなかったのに……」
 彼は78キロ級のゴールドメダリストになった。
 「柔道界は、食事というものをかなり軽視してきたと思います。練習時間を割くために食事の時間が押しやられることも多かった」
 「伝統的な指導方法を軽視している」「自分がない」といった周囲の声に流されることなく、監督となった山下氏は数々の改革を断行していった。ザバススポーツ&ニュートリション・ラボのスタッフを正式なサポートスタッフとして迎え入れ、筋力トレーニング専門のコーチもスタッフに加えた。試合のスケジュールも大きく変えた。オリンピックの年の4月に第一選考会、6月に最終決定、9月に本番という強行日程にゆとりを持たせ、選考基準に「海外での実績」を付け加えた。チームのサポートなしでは海外遠征ができなかった選手たちに「闘いの場を自ら探し求めること」を説いた。ためらう選手には、海外で一人で闘うアスリートのルポを読むことを勧めた。
 2000年シドニーオリンピック。栄養スタッフの正式採用から始めた改革は実を結んだ。ドクター、マッサー、栄養スタッフ、筋力トレーニング専門のコーチ、メンタルトレーニングの専門家、情報分析スタッフ――万全の体勢で臨んだ日本代表は、金メダル3個を持ち帰った。
 「人を変える、これはすごく難しいことです。でも、自分を変えるのは簡単です。自分が変われば、人も変わる。日本の柔道は大変な時代を迎えている。10年前、20年前に比べたら選手の層は格段に薄くなっている。10年前と同じことをやっていたら、大惨敗していますよ」
 山下泰裕は根性論の人であり、古臭い指導者でもある――。ご本人にお会いする前まで、筆者もそういうイメージを抱いていた。おそらく、日本国民全員が誤解をしている。
 山下泰裕氏は、日本古来の武道に、初めて「科学」の光を当てた。






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