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2008年10月08日
「オリンピックに貢献する平和の心」人民日報(中国)2008年8月26日(月曜日)に山下に取材した記事が掲載されました。

2008年8月26日(月曜日)の人民日報(中国)に山下に取材した記事が掲載されました。(2008年10月8日) オリンピックに貢献する平和の心 日本の山下泰裕柔道大師

   
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(以下、和訳)

人民日報(2008年8月26日付、14面)
「オリンピックに貢献する平和の心ーー日本の山下泰裕柔道大師」
曹 鵬程 記者

北京五輪の競技第6日(8月14日)、記者は北京科技大学の柔道会場を訪れた。世界各国の観客が選手たちを熱心に応援している。その中で、スポーツシャツ に半ズボン姿、望遠鏡を手にした中年男性が試合場に冷静な視線を送っていた。日本柔道界の重鎮、山下泰裕氏だ=写真。

山下氏はかつて、全日本選手権で9回優勝した。世界選手権で4回の優勝を記録した上、(ロサンゼルス)五輪で金メダルを獲得した。外国人選手との対戦では、生涯一度も負けたことがないまま引退した柔道家である。

山下氏は記者に中国語で挨拶してくれた。そして、約束のインタビュー開始を少し待ってもらえないでしょうか、と申し出た。ちょうど、アテネ五輪の金メダリスト鈴木桂治選手の試合(敗者復活戦)が始まるところだったからだ。

鈴木は、今回も金メダルが獲得できるかどうか大きな話題を呼んでいた。しかし、初戦で実績の乏しいモンゴル選手に敗れた。その選手が準決勝に勝ち進んだた め、鈴木は敗者復活戦に出場する機会を得ていた。開始30秒すぎ、鈴木はドイツの選手に一本を取られ、敗退した。(場内に映し出された)試合のリプレーを じっくり見終わった山下氏は、がっかりした表情を浮かべたあと苦笑いしながら記者に言った。「(鈴木の敗退で生じた)今日の残り時間を貴方にたっぷり提供 しましょう」と。

日本の柔道はアテネ五輪で8個の金メダルを獲得した。山下氏は「あの時は運がよく、予想以上の力が発揮できた」という。北京五輪では、この日の時点で男女 合わせた金メダルは3個にとどまっていた(最終的には4個)。それでも、各国に比べると日本の成績は良い方であり、世界の柔道界には現実的な変化が見て取 れるのだ。

山下氏の分析によると、国によっては選手の基礎技術は決して高いとはいえない。だが、バルセロナ五輪の頃から、欧州諸国は合宿形式の練習に力を入れ始め た。その後、北アフリカの選手たちも参加するようになり、これらの国々の選手たちのレベルは急速に向上した。

今回の五輪で柔道のメダルを獲得した国を見ると、非常に分散している。その結果、強豪国の日本、韓国、ブラジル、ロシアなどが苦戦中だ。ある意味で、これ は柔道の普及のためには有効である。中国、日本、韓国の東アジア3カ国柔道界にとっても、互いに刺激しあって練習することは、3カ国の柔道発展を促す効果 がある。

柔道の起源は日本である。20世紀の初頭、日本の著名な教育者であり体育指導者でもあった嘉納治五郎が、柔術と中国の古代哲学とを組み合わせて確立した。 嘉納治五郎は1902年、東京に弘文学院(後に宏文学院と改称)を設立した。この学校は中国人留学生のために初級レベルの日本語と各学科の教育を施した。 卒業後は日本の大学や専門学校に進学することができた。実に7000人以上の中国人留学生を受け入れており、その中には有名な魯迅、黄興、楊度、陳天華、 秋瑾、陳独秀、田漢、李四光那らが含まれている。

毛沢東の青年時代の師である楊昌済も、ここで学んだ。柔道が大好きであった。嘉納治五郎は楊昌済に東京高等師範(現在の筑波大学)に入学することを勧め た。楊昌済がその後、毛沢東の恩師で、かつ義父(最初の夫人の父にあたる)にもなり、毛沢東に影響を与え続けた。

1917年4月、毛沢東が発表した第一作『体育之研究』の中には「身体を鍛錬したからこそ、文明的な精神が成り立つ」という一節があり、嘉納治五郎と日本 柔道の精神を称賛している。柔道が中日友好交流史上で果たした、あまり知られていない逸話である。

山下氏が中日友好に力を注ぎ始めるきっかけは偶然の会話であった。2004年に上海で開かれた国際柔道連盟の会議だ。ある中国柔道協会の役員が山下氏を見つけ、中国男子柔道のレベル向上に力を貸してほしいと頼んだ。

山下氏は考えた。中国は5000年の歴史を持ち、隣国に影響を与え続けてきた。日本は中国から多くの有益なことを学んできた。だから、困っている中国を手助けするのは当然だろう、と。

彼の発想は、当時、経団連会長だった奥田碩氏の支持を得た。トヨタ、新日鉄、全日空が進んで寄付し、中国の男子柔道選手たちによる日本での合宿練習に協力 した。これを知った外務省は、山下氏が柔道を通じて中日友好のために長期的な活動ができるように願った。

数年間の努力が実り、2007年末、日本の対中国開発援助(ODA)として1000万円を出資し、青島に中日友好柔道館が建設された。地元の市民たちは、 ここで柔道の練習ができることをとても喜んだ。さらに山下氏は、戦争の傷跡が深い都市、南京市の関係者と協議し、鐘山のふもとに第二の柔道館を建てる意向 を持っている。

1909年、ピエール・ド・クーベルタンは日本柔道の開拓者、嘉納治五郎に直筆の手紙を送った。国際オリンピック委員会(IOC)の委員に就任するよう求 めたもので、嘉納はこれを受け入れた。1911年、今の日本オリンピック委員会(JOC)にあたる大日本体育協会が設立され、1912年には日本のオリン ピック初参加が実現した(ストックホルム五輪)。そして、1964年の東京五輪で柔道は実施競技に採用された。欧米以外で発祥した唯一の競技であった。

山下氏は「柔道の最大の特徴は対戦相手を尊敬することにある」と強調する。五輪での競争が過激になりがちな今日の時代にあって、相手選手に尊敬の気持ちを持つことはとても重要である。

IOCのロゲ会長は、かつて山下氏に言った。「我々は神ではない。従って、審判も時には間違いを犯す。柔道の精神とは、選手が仮に間違った判定をされたと しても、審判と対戦相手に対する尊敬の心を忘れない、というものである。これこそオリンピック精神といえる。しかし、こうした競技は非常に少ないのが現実 だ」と。

日本、韓国、中国はともにオリンピックの開催を経験した。この東アジア3カ国は五輪にどんな新しいものをもたらしたのか。記者の問いに、山下氏はしばらく 考えこんだ。そして、謙虚な態度で笑みを浮かべながら、「私は柔道しかわからない実践者であり、理論家ではありません」と前置きした上で、次のように述べ た。

「嘉納治五郎は中国の古代哲学(儒教)を基に柔道を悟った。日本には、茶道、書道、華道などが普及した歴史がある。『道』とは、心身の健康であり、生活の充実であり、人間関係の調和の哲学である」

「柔道好きなロシアのプーチン首相は、かつて、こう話してくれた。『柔道はスポーツではなく哲学であり、柔道を通じて学んだ物事を人生の各方面で応用する ことができる』と。私は以前、プーチン首相に貴重なプレゼントをしたことがある。嘉納治五郎自身が筆を取った『自他共栄』という書だ。宏文学院の柔道場に も『精力善用 自他共栄』は掲げられていた。この言葉は、すべての対戦相手、あるいは、すべての国は『敵』ではない、という意味なのです」

「我々がオリンピックを通じて貢献できるのは、平和のこころです。世界は多様であり、ひとつの国の中にでさえも違いがある。だからこそ、互いに相違点を理 解し合わなければならない。これは中国の先人が日本の先人に与えた影響であり、我々は今、この精神を世界に伝えていきたい」

以 上

 

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