講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2004年08月09日
「精力善用、自他共栄」柔道の心を世界へ

自分の夢に向かい、自分の可能性を信じて羽ばたけ

――― アテネオリンピックが8月13日から29日まで開催されます。先生は1984年のロサンゼルス大会で金メダルを獲得。アトランタとシドニーには全日本柔道男子監督として参加されました。まず今回の見どころからお話しいただけますか。

山  下: 金メダルの数からいくと、前回までのオリンピックは柔道プラスアルファでした。シドニー大会の日本の金メダルは5つで、柔道4つに高橋尚子さんで す。アトランタは金が3個、全部柔道です。その前のバルセロナは3個で、柔道2個と岩崎恭子さんです。でも今年は違いますね。まず体操がカムバックしてき ました。水泳は北島康介選手を中心に楽しみです。新種日の女子のレスリングがいいですね。それからシンクロナイズドスイミング、ソフトボール、そして日本 のドリームチームができるのではないかと言われている野球。ハンマー投げの室伏広治さんもいます。今回は柔道以外にも、いろいろな種目で金メダルが期待で きるのではないでしょうか。

――― 柔道では上村春樹全柔連盟強化委員長が金メダルを「最低前回の4個以上」と言われていますが、先生はどう見ていますか。

山  下: 過去、柔道の金メダルはシドニーが最高で、男子3、女子1です。アトランタが男子2、女子1、バルセロナが男子2、ソウルは男子1でした。ロスは 男子が4個。ただこれは無差別級がありましたから、今で言うと3個です。しかも東側の国は出ていないから、現実的には2個です。今回は、4プラスマイナス 2が妥当ではないか。柔道は軽い方から始まります。初日に谷(売子)が勝てば2連覇、野村(忠宏)が勝てば3連覇。初日に金2個を獲ったら、日本は最高の スタートです。そのチャンスはある。男子100キロ級の井上康生も、勝てばオリンピック2連覇です。

――― シドニーを上回る金メダル獲得の可能性もありますね。

山  下: ただオリンピックは、何が起こるかわからない。オリンピックの前年に世界選手権があります。世界選手権は2年に1回ですが、前年の世界チャンピオ ンが翌年のオリンピックでも勝つケースは非常に少ない。シドニーで世界チャンピオン16名のうち金メダルを獲れたのは2名だけ。田村(谷)と井上です。

――― それはなぜですか。

山  下: 前年のチャンピオンは非常にマークされます。また今の柔道は意外性がある。オリンピックは番狂わせが起きやすいのです。だからシドニーでは、男子 7階級で一番勝てる可能性が低いと言われていた瀧本(誠)が81キロ級で優勝した。アトランタでは女子で一番勝てる可能性が低いと言われていた恵本(裕 子)が優勝した。そして一番勝てる可能性が高かった田村が敗れた。ですから昨年、大阪の世界選手権で日本選手が活躍しましたが、アテネでもすんなりいくか というと、とんでもない。逆にあそこで力を発揮できなかったとしても、波に乗って自分のいいところを出し切れば一気にぐっといく。大会中にいかに選手を波 に乗せるか、いかに選手のいいところを引き出していくかが鍵でしょうね。

――― オリンピックはやはり特別なのですね。

山  下: もちろんプレッシャーは強い。そう言うと日本のマスコミの人は、選手たちに「大変ですね」とよく言いますが、あれはおかしいと思う。選手たちは自 分の努力が実ってオリンピック代表になったわけでしょう。日本でただ一人、そのクラスで自分の夢に挑戦できる人間ですよね。大変なことはやりがいのあるこ とです。「よし、やってやるぞ」と意気に感じ、自分のすべてをかけてやろうと熱く燃えないでどうしますか。私は選手たちに、自分の夢に向かって、自分の可 能性を信じて思いっきり羽ばたいてほしいと思っています。

柔道が日本と世界をつなぐ架け橋になる

――― 先生は昨年、国際柔道連盟(IJF)の教育コーチング理事に就任されましたね。

山  下: 私が全日本柔道連盟からこの役職に立候補してくれと言われたのは一昨年の10月です。その後しばらくして、外国の友人からメールが来た。「山下、 お前は本当に立つのか。もう1年以上前からヨーロッパとアフリカとパンアメリカの三つの連盟が手を組んで、日本から教育コーチング理事のポストを奪おうと している。そのことを知っているのか」と。
 国際柔道連盟のうち、三つの連盟の加盟国を合わせると120です。もちろん日本も独自のつながりがありますから、三大陸の全部がそれになびくとは限らな い。しかし一年前から準備していて、日本人はそのことを誰も知らなかった。結果的に私は無投票で選ばれたのですが、その過程で痛感したことは、日本の柔道 界は世界の柔道に貢献しているつもりでしたが、思っていたほど信任を受けていないということでした。それどころか、「日本は世界の柔道の発展のために何が 大事か考えていない。何か提案が出ても『いや、それは伝統と違う。日本の柔道はそうではない』と反対する」と。信頼感がなかったのです。そこで私は腹をく くりました。任期は4年ですから、「これから4年間、目いっぱい世界の柔道の発展のために汗をかこう。そして、世界の柔道にとってやはり日本の役割は大き い、日本抜きでは考えられないなと感じてもらえるようにしよう」と決意したのです。

――― 具体的にはどのようにして世界の柔道の発展に貢献しようと。

山 下: 国際柔道連盟の加盟国は現在187カ国で、オリンピック種目のなかでも、3番目に多いそうです。またメダリストは世界各国に広がり、ドーピングでひっかかる選手がきわめて少ない。日本で生まれた柔道は世界のなかでしっかりした地位を築いています。
 それを踏まえて、昨年9月の国際柔道連盟の総会で3つの公約をしました。第一に、柔道をオリンピックスポーツとしてダイナミッグで魅力的なものにする。 そのために柔道が多くの人から支持されるようにわかりやすくする。第二に、柔道を世界の多くの国々に普及させ、その技術も含めて、それぞれの国々、大陸で 発展を続けるためにサポートをする。第三に、柔道の創始者、嘉納治五郎師範が目指したものは身体を通しての人間形成である。非常に教育的価値の高いスポー ツである柔道を通して人間教育を図る、この3点です。
 これを考えるうえで大きかったのは、去年の5月未にプーチン大統領と会ったことです。サンクトペテルプルク建都三百周年の折、私がプーチン・小泉会談の つなぎ役を果たして、大統領が育った柔道場で3人で会いました。世界中の首脳が集まったけれども、ブッシュ大統領以外で個別の首脳会談ができたのは小泉さ んだけです。その会談の翌日、プーチン大統領のインタビュー番組がNHKで流れたのですが、帰国後、そのビデオを見てびっくりしました。大統領は、「柔道 は単なるスポーツではなく、私にとっての政治哲学でもあります。柔道との出合いは私に転機をもたらした。考えや人生観、人との接し方も変わりました。柔道 が今の私をつくったと言えます」とはっきりおっしゃっているのです。そのビデオを何回か見たのちに、頭のなかで漠然としたものがはっきり見えてきて、私自 身がこれから目指すものが明確になったのです。
 そこで、国際柔道連盟の教育コーチング理事に就任する前に、全日本柔道連盟の国際委員会で海外への柔道指導者派遣の目的を明文化した。1つは「派遣先へ の貢献」です。これまではともすると、指導してやるという上から見るようなところがありました。ですから「指導」という言い方はやめて「貢献」とした。も う1つが「柔道を通しての国際交流」です。単に技術的な指導に終わらず、多くの人と交流しながら、日本文化への理解を深め、相互理解、相互信頼関係の構築 に努めることとした。つまり、全柔連が海外指導者を派遣するのは、柔道を通して日本と世界をつなぐ架け橋になるためであると定めた。そして国際柔道連盟で 3つの公約をしたのです。

――― 柔道が教育的なスポーツだというのは。

山  下: 私は日本代表選手として10年以上、また全日本監督として8年間かかわってきました。そのなかで1つの疑問がわいてきた。「われわれ柔道人は、形 だけに気をとられ、最も大切な柔道の心を見失ったのではないか。勝ち負けにこだわりすぎて柔道の持つ教育的な価値、なぜ道がついているのか、嘉納治五郎先 生が何を目指したかという視点が失われているのではないか」と思うようになったのです。そんな折、日本の柔道界に1つの運動が起こってきた。2001年の 秋から始まった全柔連と講道館の合同プロジェクト「柔道ルネッサンス」です。これは、21世紀を迎えた今こそ嘉納先生が提唱された柔道の原点に立ち返り、 柔道を通じて人間教育を進めようというものです。嘉納先生は晩年、「精力善用、自他共栄」とよく言われています。簡単に言うと、自分のエネルギーを価値あ ることに使おう、そして自分も他人も共に栄えようということです。3つ目の公約は、その柔道の心を世界に広げたいというものです。

教える側が自分自身を磨き高めていかなければならない

――― 先生は熊本の藤園中学で白石礼介先生、東海大学では柔道部の佐藤宣践先生、創立者の松前重義先生など素晴らしい先生と出会い、その教えを活かしてこられましたね。

山  下: 私は小学校時代から休も大きく、非常に元気でした。小学4年のときに柔道を始めたのも、柔道でもやらせれば少しは人に迷惑をかけなくなるのではな いかと両親が考えたからです。中学時代、白石先生は非常に激しい稽古の合間に、人間としてのあり方、心構えなどをわれわれに繰り返し話されました。「柔道 のチャンピオンになることも素晴らしいけど、もっと大事なことは柔道で頑張ったことを活かして人生のチャンピオンになることだ。どんなに柔道を頑張ったっ て勉強をおろそかにしたら、柔道のチャンピオンにはなれても、人生のチャンピオンにはなれない。文武両道だ」と。また「強くなりたいと思ったら、まず素直 な心を持つことだ。お父さんお母さんの話、先生の話を素直に聞けることが強くなるためにまず一番必要なことなんだぞ」と言われました。佐藤先生には、先生 の家に住まわせてもらって、先生の生き方、後ろ姿を通していろんなことを教わりました。松前先生の教えで最も印象に残っているのは、「僕が君を一生懸命応 援しているのは、試合で勝ってほしいだけじゃないんだ。日本で生まれ育った柔道を通して、世界の若者と友好親善を深めてほしい。柔道を通して世界平和に貢 献できる人間になってほしい。だから僕は君を応援するんだよ」という言葉です。
 私は、人間はいかようにでも変われると思っているのです。人を変えることは難しいが、自分を変えることはいくらでも可能だと思う。感動したり、はっと気 がついて心を揺り動かされたときに、決意をすればいくらでも変えられる。その感動したり、はっという気づきを得るのに、人との出会いが大きいのです。

――― 今、ご自身が教育する立場になり、どのような教育者を目指しておられますか。

山  下: 教育者と言えるだけのものはまだまだありませんが、教育とは子供たち、あるいは生徒、学生を磨いていくことですけれども、大事なことは、数える側 が自分自身を常に磨き高めていかなければいけないのではないかということです。もう1つ、自分自身の生き方を通して伝えていく。その人間が自分の人生を通 して何を目指しているのか。その生き方を見せることが大事だと思います。私は、恩師から受けた素晴らしい教え、私自身が柔道を通してつかんだ柔道の心、過 去の偉大な人たちの生き方、そこから学んだことを自分の教育に活かしていきたい。10年ぐらい前から私の価値観が変わってきたように思います。

――― 価値観が変わってきた理由は。

山  下: 一つは私が柔道界でチャンピオンになって、誰も私に意見をしなくなったからです。自分で言うのも変ですが、私が発言することは影響力があります。 自分が正しいと思って言ったことでも、もし間違っていたら迷惑をかけると思い怖くなったのです。そこで柔道以外の、人生の勉強をするようになりました。ま た私は、もう人生分以上に闘った気がします。選手としても指導者としても、多くの相手を叩きのめしてきました。もう勝ち負けの世界に生きるのは十分だとい う気がします。
 それと私の次男が多少自閉的なところがあるのですが、その子を通しても私の価値観は変わったと思います。それまでは強者の論理でした。この世界は結果を 出さなきゃ駄目だ。それには苦労しなければならない。そういう思いが強かった。成功した立場のものの見方しかできなかったのです。しかし女房が子供のこと で苦しんでいる。そういう姿を見、子供のフリースクールでの活動などに参加するなかで、今まで全然見えなかったものが見えてきた。だからこれからは、いろ いろな人と手を取り合いながら、柔道界のため、青少年のため、日本のため、世界の平和のために、できることは限られているけれども、力を合わせて一緒に やっていきたいと思っています。

――― 柔道を通しての人間教育と国際交流、柔道界の新しい動きに注目しております。本日はどうもありがとうございました。

PROFILE
山下泰裕(やました・やすひろ)氏 1957年、熊本県矢部町生まれ。80年、東海大学体育学部卒業。同大学大学院体育学研究科修了。全日本柔道選手権9 年連続優勝。ロサンゼルス五輪無差別級金メダリスト。国民栄誉賞受賞。203連勝で現役引退。現在、東海大学体育学部教授。同大学柔道部部長。全日本柔道 連盟理事。同連盟男子強化部長。国際柔道連盟教育コーチング理事。文部科学省中央教育審議会委員他。著書に『黒帯にかけた青春』『OSOTO-GARI』 『闘魂の柔道』等。
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