講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2004年07月14日
埼玉教育 2004年6月号 No.667 巻頭言 柔道を通した人づくり

 小学校時代から腕白だった私は、両親から柔道を勧められ、4年生の時から習い始めました。柔道を始めると、その激しさに惹かれ夢中になっていきました。
 中学校時代の恩師は、「柔道の勝者を目指すだけでなく、社会に出て役に立つ人間を目指せ。社会人として勝利者を目指せ」また、「強くなりたかったら、素 直な心を持ち、礼儀を大切にしなきい」と繰り返し話されました。決してほめられる子どもではありませんでしたが、この教えは素直に聞くことができました。 すばらしい恩師との出会いで自分自身が変わっていったと思います。その後、私が柔道で自分の目標に到達できたのは、これまでに出会った恩師の先生方の教え によるところが大きいと思います。また、恩師の生き方にあこがれ、指導者、教育者になりたいと思うようになっていきました。恩師から影響を受けて、教育者 になりたいという夢をもつ学生は今もたくさんいます。教育は責任も大きいがやりがいのある仕事である、と私は感じています。
 現在の教育は、生きる土台を教えず、ただ知識を詰め込むことに学校も家庭も夢中になっているような気がします。だから子どもたちは受け身になり、自ら学 ぼうとする意欲が低く、忘却率も高くなっているのではないでしょうか。学枚は、知識だけに偏ることなく、もっと人間を育むという視点で人間的な成長を大切 にすべきではないかと思っています。スポーツも勝ち負けだけでなく、活動を通して目標を持つ、相手を尊重する、思いやる、規則を守る、力を合わせることな どを学ぶことが大切だと思います。
 私は今、日本柔道界で柔道ルネサンス(原点に帰ろう)運動を展開しています。柔道の創始者が目指したのは、勝ち負けだけではありません。柔道を通して心 身を錬磨し、社会に役立つ人間を育てることを目指したはずです。柔道は、人づくりであるはずです。それをもう一度、柔道界全体で見つめ直そうと思っていま す。
 子どもたちの瞳がきらきら輝いてほしいと願わない者はいないと思います。しかし、今は、我々大人が生き生きしていない、生き甲斐を語っていない、志がないのではないか。そんな我々の姿の映っているのが子どもたちであると思います。
  我々教師そして大人が、子どもたちに人生を語り、夢を語り、志を語らなくて子どもたちが夢を持てるでしょうか。言葉だけでなく、自分の価値観、人生観、体 験などの生きざまをとおして指導し、自分の体で子どもたちにぶつかっていく。子どもたちを磨きながら、それ以上に自分を磨く教師でありたいと思いますし、 我々は、そうあるべきではないでしょうか。

“自分の後ろ姿で人を育てる”そんな教師でありたいと思います。

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