講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2004年04月22日
対談 知事と話そう「スポーツが人をつくる」  (愛媛県 加戸守行知事との対談)

 ロサンゼルス・オリンピックでの、右足を負傷しながらの感動的な勝利。前人未踏のさまざまな記 録。日本柔道の顔として私たらが思い浮かべるのは、いつもこの人、山下泰裕さんでした。

 現役引退後も、オリンピックや世界選手権のチャンピオンを続々と育成し、「ジュードー・ニッポン」の名声を高め続けていますが、このほど新たに完 成した愛媛県武道館の名誉館長に就任していただきました。

 今回は加戸守行知事が、新武道館の魅力、競技生活の思い出、柔道家としての活動理念や、スポーツを通じた人づくりなどについて、お話をうかがいま した。


来てびっくり。構えといい設備といい、これは世界に誇れる日本一の武道館らしい武道館だと思いまし た。

知事 本日は愛媛県武道館落成式にご出席いただき、ありがとうございます。まず、武道館の感想をお聞かせ願えますか。

山下 県の柔道関係者の方から図面を見せてもらったり、素晴らしいものができると聞いたりして、期待はしていたんですが、正直な話、来てびっくりで す。石垣も見事だし、スケールも大きい。中に入ると、ふんだんに使われている木の温もりが感じられ、特に外国の人が来た時、日本の文化や歴史を感じさせる 雰囲気が随所に見られる。また浮き上がる畳(浮上式柔道用床転換システム)、大型スクリーンといった設備には、これからの時代に向けた配慮がある。世界に 誇れる武道館らしい武道館。こういうものを造っていただき、武道関係者としても本当にありがたいと、知事の肝っ玉の太さを嬉しく思っています。

知事 ありがとうございます。きっかけは、道後にあった旧武道館が「日本最低の武道館だ」と評定されたことで(笑)、ぜひとも山下さんに、日本一と 言ってもらえるものにしなきやいかんと。愛媛県は、よそがやっているからと、なんでも肩を並べるのではなく、“身の丈に合った県政”を基本方針にしていま すが、こと武道館に関しては、私自身の思いもあり、ぜひ木造でいいものを造ろうと、樹齢百年以上の杉の木を使うことを計画しました。しかし、いざ探し始め ると、やはりそういう木は少ない。で、できる範囲でやろうということでスタートしたんですが、出来上がった姿を見て、私もびっくり(笑)。多くの方に協力 いただいた結果だと、大変嬉しく思っています。       

山下 12月、柿落としの愛媛国際親善女子柔道大会に来る、外国の柔道家たちの反応が楽しみですね(笑)。柔道に限らず、国内外の競技者たちにも、 この武道館にびっくりして欲しいです。

知事 山下さんには名誉館長を引き受けていただきましたが、ご本人の希望で無報酬。ただ働きで申しわけなく思っておりますが(笑)、県民は世界の山 下さんが名誉館長ということで、とても喜んでおります。

山下 どこまでできるかわかりませんが、このすばらしい武道館が有効に活用され、ここから世界に羽ばたく選手や、たくさんの健全な青少年が育ってほ しい。そういうことに、何かお役に立てればと考えています。

知事 ありがとうこざいます。「コンピュータ、ソフトなければただの箱」といいますが、建物ができても、優秀な選手が育たなければただの箱になって しまいます。山下名誉館長を目指して皆が頑張ってくれることを、心から願っております。

山下 新武道館建設は、県武道団体の長年の強い願いでしたから、このエネルギーは必ずいい方向へ大きく動くと思います。

知事 私が知事になった時、スポーツ関係者が多くの要望を出された。で、私は「皆さんが自分の分野のことだけをいうなら、何もまとまらんのじゃない ですか。今の県下スポーツ界の現状を見て、自分のところは我慢する、可哀相なあそこを何とかしようと互いに思ってくれませんか」と申し上げた。すると、県 下数十の団体が協議し、最優先事項として出てきたのが、武道館の全面改築でした。熱心な推進論者がいたことも事実ですが、スポーツ団体の声がひとつにまと まったことが大変嬉しかったですね。



今回の世界選手権、日本チームは金メダル6。棟田康幸選手(松山市出身)が素晴らしい試合をしました。

知事 今回の世界選手権では棟田選手が金メダル。県民は大変喜んでいますが、大会を振り返っての感想はどうですか。

山下 前回は金メダルが1、今回は男女合わせて6。日本チームは、頑張ったんじゃないですかね。初日、棟田選手が一番重いクラスで素晴らしい試合を したのが、チームに大きな力を与えたと思います。大会運営も素晴らしかったという評価をいただいて、いろいろな意味で今後につながる大会でした。ただチー ムには、日本代表の選手としてどうかと思う髪の色の選手や、負けた時のマナーが悪い選手もいまして、柔道は内面を磨くスポーツだけに、勝ち負けだけでいい のか、我々の指導のあり方についても、大いに反省すべき点がありました。

知事 私が文部省体育課長をしていたとき、学習指導要領の改訂にあたり、「礼に始まり礼に終わる」精神を学校教育に生かしたいという願いで、「中学 の体育の正課にぜひとも剣道、柔道などの武道を取り入れたい」と、その必修を義務づける改訂作業をしたことがあります。ですから、お気持ちはよくわかりま す。ところで、横田選手を鍛えたのはお父さん。お父さんとは同世代ですね。

山下 ええ。試合をしたことがあります。

知事 お父さんは、山下さんに歯が立たなかった(笑)。

山下 今も審判員・役員としてよく会うんですが、ご両親とも柔道に対する思いが熱く、愛情が豊かです。それが康幸君の柔道のエネルギーに直結し、レ ベルの高さ・柔道に対するひたむきな姿勢・潔さに現れている気がします。彼は将来帰郷して、父の道場を継ぎたいと言っています。

知事 二十年先の名誉館長候補ですね(笑)。

大変な問題児でした。そんな私の有り余る闘争心を満たしてくれたのが柔道です。

知事 柔道を始めたのは、いつ、どういうきっかけからですか。

山下 小学校時代です。ただの空気デブじゃなかった(笑)。ものすごく元気で、体はでかいけど短距離走はクラス一、球技も得意、喧嘩も大好きで負け ず嫌い。ですから、運動をやってる時はいいんですが、学校にとっては問題児で、一年から二年に上がる時、私だけ厳しい先生のクラスにしようかという話が出 るし、三年から四年に上がる頃には、私が恐くて登校できない子が出る(笑)。当時は登校拒否なんて言葉はありませんでしたが、その原因になっていた (笑)。うちは食料品店だったんですが、母が、お客さんから厳しいことで定評のある道場のことを聞きまして、そこへ私を連れていったのが柔道を始めるきっ かけです。そこでは、柔道着を着て、先生の指示さえ守っていれば、いくら暴れ回ってもいい(笑)。ですから、その頃はまだ遊びの延長でしたが、私の有り余 る闘争心を満たしてくれる柔道に夢中になりました。

知事 体格も運動神経も良い。でも長年柔道をしていた人を相手の勝負は、どうでしたか。

山下 最初はポコポコ投げられました。でも、エネルギーを発散できるのが楽しくて。

知事 投げられても。

山下 はい。でも、始めて三、四カ月後に、町の柔道大会で優勝しまして、柔道そのものが私に合っていたらしく、上達は早かったです。

知事 柔道を始める前、特に何か運動をしていたんですか。

山下 小学校はソフトボール少年。あと、山に駆け上がったり、木の実を採ったり、夏はもっばら川で泳いだり、魚を捕まえたり……。

知事 文部省時代、「小学校五年生の場合、二十年前と比べると体格は1~2学年長じているが、体力は一学年低下している」という数字を見て、これは 外で遊ばないからだと感じました。それで、“グリーンスポーツ運動”、つまり用具はなくてもいい、原っぱがあって走れる、そういう場をまず作ろうとずいぶ ん働いたことを思い出しました。山下さんの場合も、子供の頃、外で大いに遊んだことが、のちの基礎体力づくりにつながっているわけですね。

山下 はい。私は昭和三十二年生まれですが、私の小学校時代と今を比べると、物質的にははるかに今の方が恵まれています。しかし、どっちが子供らし く、いきいきしていたかと考えると、私の頃の方が純真で、いきいきしていた気がします。今は生活が便利な分、体を動かす機会が減り、遊ぶ時間も場所もなく なっていますね。

「めざすべきは人生のチャンピオン」「人生を通じて学び続ける」恩師の教えは、今も私の心の柱です。

知事 良き指導者に恵まれたそうですね。

山下 はい。まず白石礼介(れいすけ)先生。小学六年の時、熊本県大会で優勝し、県下一強い中学ヘスカウトされて、この先生と出会ったんですが、こ こで私の柔道がぐんと伸び、柔道の道についてもいろいろ教わりました。

知事 厳しい先生だったんですか。

山下 古武士的な雰囲気はありましたが、言葉は優しく、情熱に溢れていて、子供の心をつかむのがうまかったですね。

知事 しょっちゅう怒鳴ったり手を出したりして、「何くそ」と思わせ、向上心を高めるタイプの人もいますが、そうではなかったと。

山下 はい。この先生が一番いわれたのは「文武両道」「目指すべきは人生のチャンピオン」ということです。柔道も勉強も頑張れ、皆が本当に目指すべ きは、社会で活躍できる人間になること。柔道で培ったものを生かして、社会のチャンピオンになろう、勉強しなかったら人生の勝者になれんぞ、ということで す。もうひとついわれたのは「素直な心」。強くなると力を誇示したくなる、その心がいかん。強さを発揮するのは道場だけで十分、本当に強くなればなるほど 人は優しくなれる。「真の柔道家はどうあるべきか、我らが目指すべきは何か」、一番多感な時代にこう教えられたことは、私にとって大きかったですね。

知事 高校時代にも、良き指導者に出会われたそうですね。

山下 高校二年の夏、神奈川の東海大相模高校へ転校し、ここから東海大学柔道部の監督をされてた佐藤宣践(のぶゆき)先生のお世話になりました。お 宅に住まわせてもらって、稽古は大学、授業は高校で受けるという生活です。先生とは同じ家で生活をしていましたから、言葉より行動で教わったことの方が多 かったですね。「人生を通して学び続ける」、そして「人の意見に素直に耳を傾ける」という点を学ばせてもらいました。先生は、全日本チャンピオンにも世界 チャンピオンにもなり、日本代表チームの監督もしていた偉大な人なのに、学生や後輩はもちろん、敵対関係にある人や生理的に合わない人の話でも、聞く耳を 持ち、良いと思えばすぐ実行しました。

知事 今のお話は、知事にとっても大きな教訓です(笑)。

山下 それと、どう頑張っても一人でやれることには限界があります。何かを成し遂げようと思ったら、多くの仲間と力を合わせ、組織としてやる。する と大きな力が発揮できるんだと。選手生活を終えて指導者となり、連盟という組織の中でつくづく思うのは、「私がどれだけ頑張るかよりも、いかに共に働く人 たちの持てる力を存分に発揮させるか、いかに多くの人を我々の活動に巻き込んでいくか」ということです。佐藤先生の教えは、私の大きな心の柱になっていま す。

知事 いいお話です。愛媛県の名誉知事にもなっていただきたい(笑)。

日の丸を胸に闘った、203連勝。土壇場での得意技はいつも“開き直り”でした(英)。

知事 ところで、203連勝と、個人の力で頑張られた当時の思いをうかがえますか。

山下 「俺が負けたら、多くの人は、山下敗れるではなく日本敗れると思うだろう。日の丸を胸に力の限り闘うぞ」という気持ちが強かったですね。それ がエネルギーであり、プレッシャーでもあった。今の選手はそんなことを思わないし、思う必要もありませんが、私としては、何回勝ったかでなく、勝ちの中身 をみてくれよ、という気持ちもありましたし、記録などは過去のもので、自分にとって大事なのは次の試合でいかに勝つかだ、という思いもありました。私は肥 後もっこすで、新聞などで連勝を書き立てられることには否定的で、ひたすら自分の目標となる頂上めざして登っていくだけでした。現役を引退し、登って来た 道を初めて振り返ったとき、「ほお、俺ってすごいことやったんだなぁ、まだまだと思っていたけど、自分を誉めてもいいんじゃないかな」と思えたんです。

知事 自分を客観的に見られるようになってやっと。そうですか。

山下 途中で「俺、すごいことやってんだ」と満足していたら、あそこまで行けなかったかもしれません。

知事 連勝七年半。体調や精神状態がいつも完璧だったわけじゃないですよね。

山下 はい。体調万全で臨めることの方が、少なかったかもしれません。でも、私の得意技の一つが“開き直り”(笑)。十分練習を積んでいても、やは り不安がよぎる。そこで「じたばたしても仕方ない。今の全力をここで出し切るしかない」と集中したら、思わず良い試合ができたり。そういうことがありまし た。

知事 新版柔道用語辞典には、新技“開き直り”と(笑〉。ロス五輪のラシュワン選手との決勝の時も“開き直り”精神でしたか。

山下 あそこで一番、それが出ました。皆が私の怪我を知っていたし、今なら山下に勝てると思っている状況でしたが、足をひきずっていても痛そうな顔 をせず、相手を見据えて、怪我をした分、気持ちを集中して闘う。俺にできるのはこれしかない、と開き直った結果が、金メダルでした。この技は使えますよ (笑)。

知事 斉藤選手や遠藤選手など、手こずった相手もいましたね。

山下 力の差は、そんなになかったんです。たとえば全日本選手権初優勝の時は審判の旗が、山下に二本、遠藤に一本と分かれました。また全日本九連覇 も、最後の相手は斉藤選手でしたが、これも後でビデオを見たら「俺が負けでも、おかしくないな」と思うような試合でした。遠藤さんや斉藤君には申し訳ない けど、勝利の女神が私に微笑んでくれたのかなって気がします。

知事 そういう良きライバルがいたから、なおのこと頑張れたと。

山下 はい。鏑を削る相手がいるからこそ、自分を磨き、高めることができる。ですから、遠藤さんや斉藤君がいたことは、非常にありがたかったです ね。

生きる力をどうつけるか。学校教育の中で、スポーツ・体育の果たす役割は大きいと思います。

知事 中央教育審議会委員として、教育改革に参画なさっている。今そこで、山下さんが強調されていることをうかがいます。

山下 大きな教育の柱として今いわれているのは、「生きる力」ということ。体力に限らず、豊かな人間性とか、思いやり、助け合い、我慢といった心の 力は、形や数値には表れませんが、人間にとって非常に大事な力で、学校教育の中では、やはりスポーツ・体育を通して一番学べるんじゃないかと思います。で すから、我々体育に携わる人間は、「体を敢えて記録を伸ばせばいい」でなく、人間性を育てなければ駄目だと思っています。

知事 二千四百年前、ギリシアの哲人プラトンが著書『国家論』の中で、「政治的・社会的指導者を育てるには、音楽と体育だ」といっています。人間の 資質や精神形成の中で一番重要なのは音楽と体育だと。まさに今のお話通りですね(笑)。

山下 今の教育の歪みも、「何だ今の子は」とか、「学校が悪い」「世の中、間違っている」では絶対良くならない。まず大人が良心に恥じない行動をと り、自分を磨く気持ちを持たないと駄目ですね。

知事 数年前、私が雑誌に寄稿した趣旨も「子供は大人の鏡。子供が悪いといっている親自体、胸に手を当ててみろ、そんなこといえた義理か」というも ので、お話に全く共感します。

山下 世界選手権の髪の色問題にしても、選手を非難しても何も変わらない。まず我々が変わらなければということです。

柔道の心は日本の心。私は柔道を通じて、日本と世界のいろんな国々を結ぶ架け橋になります。

知事 国際競技の場で、外国の人に柔道の本質を理解してもらうのは至難の技ではないかと思いますが。

山下 まず柔道で、変えてはいけないところと、変えていいところを見極める。変えていけないところは、「礼に始まり礼に終わる、相手を尊重し互いを 磨き合う、高い教育的価値」「一本をめざす」こと。ロシアのプーチン大統領など、世界の柔道家はほとんどが親日家で、相互理解や親善を深める契機として柔 道の価値を認めています。柔道の技術交流に伴って、相手国の歴史や文化、宗教などを理解し、日本の柔道の心や日本人について理解してもらう。これを変えた ら柔道でなくなります。私としては、細くてもいいから、日本と世界の架け橋になりたいんです。

知事 太い架け橋ですよ、名実共に(笑)。

山下 柔道着をブルーにするとか、判定のつかない時に旗で決めず、ポイントを取るまで延長戦にするとか、細かいところは今の時流に乗って変えても構 わないと思います。それより、今の柔道にとって大事なのは、五輪種目であり続けること。韓国も中国も伝統武術を国策として普及させ、自国の国際的影響力を 高めようとしていますから、柔道がもっと見てわかり、面白くなるよう妥協することは必要です。でも、柔道用語を英語にしたり、選手の闘う表情をもっと豊か にして面白くする、といった提言は絶対受け入れられない。柔道の価値とは相手を倒すだけでなく、互いを磨き高めるものですから、これだけは体を張って阻止 します。柔道によって有為な人材が育ち、日本と世界の架け橋になることには役立ちたいと思いますが、柔道の本質は死守したい。これが私の考えの基本です。

知事 素晴らしい (笑)。柔道は日本人が創りあげた文化です。その基本構造を動かせば、疑似柔道ですからね。これからも柔道界、スポーツ界、教育 界のためにご活躍ください。本日はありがとうございました。

Yamashita Yasuhiro
1957年、熊本県生まれ。東海大学大学院卒。柔道は小学校3年生から始め、全日本選手権9連覇、世界選手権3連覇のほか、1984年ロサンゼルス五輪無 差別級で金メダルを獲得。1985年、競技生活から引退、通算成績559戦528勝16敗15分。以後、後進の指導にあたる。現職は、東海大学体育学部教 授、全日本柔道連盟理事、文部科学省中央教育審議会委員、国際柔道連盟理事。2003年10月、愛媛県武道館名誉館長就任。

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