最近の雑誌・新聞インタビューダイジェスト
私が最近考えていることを理解して頂くためには、最近あったいろいろなマスコミ関係の人とのインタビュー記事を読んで頂くのが早いと思います。読んで頂いて、私の考えに対して、様々なご意見を頂きたいと思います。

































































































































「正論」3月号
(2001年3月号)

「教育改革待ったなし!」という連載企画の第9回目のようです。教育改革にスポーツでなにができるのか? という問題について元日本青年会議所会頭 松山政司さんとの対談です。シドニーオリンピックでの篠原選手への判定問題、そしてドイエ選手と、その母国フランスでの反応などについても話しました。
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■松山:素晴らしい成績をあげた昨年夏のシドニーオリンピック、男子柔道日本チームの監督として本当にご苦労さまでした。まず、シドニー五輪柔道の総括と、例の篠原信一選手の判定結果 も含めてお話を伺いたいと思います。

■山下:戦いに臨むときからお話しましょう。まず五輪代表は昨年4月に決まったんですね。合い言葉は「やり残しなく、すべてをやり尽くして戦いに臨もう」でした。勝ち負けじゃない。試合が終わった後で「ああ、これをやっておけばよかった。もっとがんばっておけばよかった」という思いだけはしないようにしよう。これを一番に掲げてやってきました。試合直前までみんな非常にコンディションもよく、すべてが順調で、八年間の監督生活のなかで初めてでした。
 僕も日本代表、ナショナルチームの選手として12、3年間、全日本柔道連盟のコーチ四年間、監督八年間を通 してなかったことですが、これは偶然ではないと思います。各担当のコーチの役割を明確にして責任を持ってやった成果 です。サポートスタッフによるスポーツ医学的支援、これはドクター、トレーニングドクター、体力の強化、管理栄養の管理栄養士、トレーナー、あとメンタル、情報分析、彼らがみんなやるだけではなくて、お互いに頻繁に会議もしながら「おれの角度から見たらこうだけども……」と協議を重ねた。そういうのが全部合わさった結果 です。
 もう一つは、選手は年間の三分の二は所属団体で稽古をやるんですね。例えば金メダルをアトランタ五輪と今回と二回取った野村忠宏(60キロ級)は、ミキハウスの所属で、年間の三分の二は母校、天理大学です。三分の一は全日本でやる。オリンピックで持てる力をすべて出し切り、よい成績を上げるためには、所属の先生と全日本の先生と選手とこの三つの連携が大事です。「今の課題を克服していくためには何をやるべきか」。そうした認識が三者でピッタリだった。それが結果 として選手をよりよいコンディションで大会まで迎えさせたことにつながってくるんですね。
 最後の私の役割は何か。それは選手を生き生きとさせ輝かせて試合会場に送り出すこといです。よくマスコミなどが「プレッシャー」や「重い荷物」とか、マイナスイメージで選手を扱いますが、五輪に出られる選手は一生懸命頑張った努力の結果 、自分で自分の夢に挑戦できる可能性を持った、数少ない選手なんです。彼らのオリンピックの姿は彼らの理想の姿なんです。だから「いかに生き生きと自分の夢に挑戦するか」。その雰囲気作りが私の役目でした。
 目標は男子七階級で金メダル三個を含めた全員メダル。結果は金メダル三個、銀メダル一個。残り三人はメダルは取れませんでした。みんな全力を尽くしたから、私としては全員を表彰台の上に上げたかった。みんな精一杯頑張ってベストを尽くしたが「やっぱり勝負は非情だな」と思いました。
 私は選手時代にも多くの人たちに支えられて、ケガというアクシデントもありながら、最後は神様まで見守ってくれている形で劇的な勝利を得た(1984年のロス五輪での金メダル獲得)。そして監督として、今度は、コーチが頑張って、スタッフが頑張って、何より選手が頑張って期待に応える成績を残した。私は、たまたまその上に座っただけだけど、帰国の機内では「おれ、こんなに恵まれていていいのかなあ」という気持ちだったんです。でも、残念ながら全力を尽くしてやったが、目標に届かなかった選手もいる。結果 を総括すると、みんながよくやったし、やり残しはないと思う。全体としては「よく頑張ってくれたな」と思います。

■松山:いや、五輪の日本柔道の活躍の裏に、こんなにも手厚い配慮と周到な準備があることをうかがい感動しました。

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神様は篠原もドイエもすごいところを引き出した(山下)

ドイエ選手も素晴らしい試合をしたんですね(松山)

■松山:そこで、篠原選手の判定問題ですが、われわれはテレビを通して見て、フランスのダビド・ドイエ選手に与えた有効の判定が非情に疑問に思えたのですが。

■山下:なんでああいう審判をしたのかというのは判っています。主審は相手が技をかけ投げると思って篠原の方しか見てないんです。篠原が最後にコテッとこけたもので「有効」とした。ビデオを見ると相手の選手がもんどりうって倒れた方には目が行っていない。網一人の反対側の副審から見ると、審判と篠原の陰で、相手の選手が倒れたのが見えていない。同じ角度から見た日本人は「ヤラレタ!」と思ったそうです。だから片方の副審からは見えていない。後からビデオを見られて「これは一本だよ、篠原は」と思われたが、相手がでかい選手なので隠れているんですね。だから相手の副審は、篠原が何でガッツポーズしたかわからない。相手のフランスの選手がどう倒れたかわからない。しかし、一人の副審は目の前で見たから自身を持って「一本」と判定した。

■松山:そうだったのですか。主審と副審の一人は篠原の技が見えてなかったのですね」

■山下:結論から言いますと、判定は変わらないことは決まっていました。だから「どっちが勝ったかだけはっきり判断してくれ」と言ったんですが、結果 は「どちらでもなかった」という判定になりました。しかし、誤審を認めていて、いろんな革命の動きが出てきているんです。

■松山:あのとき「審判員が畳の上にいる間に、直ちに抗議すれば良かったんだ」という批判がありましたね。

■山下:私の柔道経験では初めてのことです。あれが「有効」の判定ではなくて、相手の「一本」だったら、多分斎藤コーチが畳に上がって直ちに抗議したと思う。しかし、残り時間に余裕があったことが一つ。それから、二対一の判定で副審の一人は篠原の勝ちとみた。だから二対一の判定を不服として、斎藤コーチらがアピールした。山下もなんか言う。篠原はガッツポーズを取っている。彼ら審判段はそれに気がつかなかったことはないが、主張を変えなかった。しかし、われわれが抗議したことによって、今まで認められなかった合議について「今度ああいうことが起きた場合に、審判は合議することになりました」といっています。

■松山:審判の改善が図られそうですね。

■山下:ええ。ただ、それより、フランスではドイエ選手が金メダルをとったことはもう大ニュースなんです。日本では高橋尚子のマラソンが一番視聴率が高かったが、フランスの視聴率ナンバーワンはドイエと篠原のあの試合です。フランスでは柔道が、日本よりも人気があるんです。金メダルを取った他のどんな競技よりも、あの試合の視聴率が一番だった。フランスのマスコミは繰り返し「奇跡が起きた」と報じたんです。
 というのもドイエ選手はアトランタ五輪で金メダルを取った後、交通事故で頸骨骨折の再起不能なケガをして、去年も一年間腰を痛めていました。しかし、ドイエはあの場面 に向け全部一本勝ちで上がっていった。パーフェクトな試合をしてきた。あの試合も八割方は主導権を取っていた。しかし、あの一瞬だけは誰が見ても篠原の「一本」です。だから、ほんと奇跡なんですよ。われわれもまさかドイエ選手があれだけの試合をするとは思わなかった。それこそ伝説の人です。

■松山:彼自身も素晴らしい試合をしたわけですね。

■山下:人間的にも素晴らしいんです。

■松山:きっと神様が元気とか勇気を与えたんでしょうね。

■山下:彼とは三年ぐらい前に話しをしました。その頃、シラク大統領と親しくて、彼はシラク大統領夫人と組んで小児病棟のある病院にスポーツ施設を作るキャンペーンを一緒にやっていた。彼がそのとき何を言ったか。
「山下、知っているか。小児病棟にいる子供たちを。親から離れて精神的にも非情に元気がない。活力がない。病んでいるんだよな。彼らにわずかでもいい、体を動かせる遊びの、あるいはスポーツができる環境を提供したい。これが彼らの心にエネルギーを与えるんだよ。彼らの瞳の輝きが違ってきて、彼らは病院から退院する入院の期間が短くなってきているんだ。これを今、大統領夫人と組んで、親元を離れて病気と闘っている子供たちに、わずかでいい、一部屋分でいいからスポーツのできる施設を、と今一生懸命動いているんだ」
 私に「山下先生、これから世界のために柔道を通して我々に何ができるか。こんなことをできれば議論していきたい」って。だから彼も篠原もどちらも金メダルを取るにふさわしかったんですね。
 神様は両方の凄いところを違う形で引き出された。金メダルは一個ですから。アメリカの柔道連盟の偉い人が、私に「実はこういう手紙を国際柔道連盟会長に送った。お前にもこれを送る」と手紙を送ってきた。それには「あれはどう見ても誤審だ。しかし、結果 はこうなった。だったら、国際柔道連盟としてもう一個金メダルを作って篠原にあげたらどうか。形はこうだけれども、過ちを改めて金メダルを二個にして表彰する。これが本当に勇気がある連盟の決断じゃないか」と。日本人じゃないですよ、アメリカ人が「両者をたたえて金メダルを二つあげることを私は提案したい」と言った。

■松山:本当に心温まる話ですね。

■山下:スポーツはそういう意味で、体だけじゃない、強靱な心も、優しさ、思いやり、助け合いの心も本来育んでいくと思います。中学時代の恩師がわれわれ柔道部員に何度も言った言葉が「人間というのはね、本当に強くなればなるほど優しくなるんだよ。優しくなれるんだよ」でした。

■松山:本当にいいお話です。

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選手の人間的成長が私にはとても嬉しかった(山下)

大事なのは勝敗ではなく、人間としての成長(松山)

■山下:試合の結果とは別に私が嬉しかったのは、選手が人間的に成長してきていることを感じたことです。もちろん私自身も欠陥だらけです。オリンピック選手も足りないところは一杯あります。でも、いくつかの例を挙げますと、一つは篠原が試合が終わって何を言ったか。
「自分が弱いから負けたんだ。審判に不服はない」 彼は実直な男で言葉少ないんですが、私が直接彼から聞いたわけではないのですが、わかりやすくお話ししますと。
「たとえあの技が一本じゃなくて、相手の有効になったとしても、まだ時間があった。おれに本当の力があれば、逆転できたはずだ。相手が有効になっても、まだ三分半あった。その中で逆転できなかったのは、やっぱりおれに本当の力がなかったんだ。ドイエが自分より強いか弱いかではなくて、自分に本当の力がなかったんだ」「審判に不服がないというのは、審判が間違えるような試合をした自分に責任があるんだ。審判がどう見ても誰が見ても、間違いがはっきりするような勝負ができなかった自分に責任があるんだ」
 誤解を恐れずに言いますと、こういう考え方は、かつて日本人が持っていた考え方です。今、われわれ日本人が忘れている考えです。何か起きると、それに対して「自分がどうすべきであったか」という事を横においてすぐ他人を批判する。他人のせいにする。これは多分一般 的にいうと、欧米の選手ではこういうコメントはでない。欧米では考えられない。自分の正当性をはっきり述べるのが欧米の選手です。
 しかし、大事なことは、人を批判する云々ではなくて、それに対して「もっと自分にいい対処ができたのではないか。自分に問題があったのではないか」と、自分の問題として、自分自身の内面 に捉えていく。このことは人間として、人間が成長していくのに非常に大事なことだ。でもなかなかできないことですね。だから、私は本心では『金メダル三個、プラチナが一個だ』と。ああいう事件があって、アクシデントがあって、篠原という人間の全部とはいいません、ある美しい素晴らしい部分があれによってできたと思います。

■松山:僕らは、判定に目を奪われていましたが、報道だけではわからないシドニー五輪を巡る日仏両国選手にまつわる美しい話しですね。心が洗われる思いです。

■山下:その次に野村が優勝した。軽量級で初めてのオリンピック二階級制覇。翌日の朝方四時くらいまでマスコミが取材に来ました。試合前に取材を制限しましたから、次の日の朝八時からまたマスコミに協力した。しかし、野村はその日の十二時には試合場に入って、中村行成選手の身の回りの世話を一生懸命やりました。残念ながら中村は自分の望んだ結果 を得られず、がっくりして控え室に帰って方を落として着替えている。その横で、野村が中村の柔道着をものすごくいとおしく、すっごい大事にして丁寧に畳んでいる。その姿を私とコーチ二人が見てて、三人で言ったのは「素晴らしい。畳の上の野村以上に、チャンピオンのこの姿を日本の多くの柔道家に見せてやりたい」と。「ああ、彼はまた成長したな」。その姿を見て我々は深く心を打たれました。
 彼らの振る舞いを見て思うんですね。僕はこの八年間で目指してきたのは『最強の選手』ではなくて『最高の選手』なんですね。

■松山:人物的な大きさというか、人間的な成長ですね。

■山下:ハイ。もちろん彼らが最高にあるとは思わないし、私自身もまだまだです。しかし、そこに彼らの厳しい稽古を通 しながら、人間的な成長を見ることができたのは、私にとって非常に嬉しかったんです。

■松山:人格に優れた選手ほどいい成績を出せるように思います。これは、これは、それだけ自分に厳しく一生懸命に稽古をやっていくからでしょうか。

■山下:といいますか、外国の場合、上に立つスポーツマンは、子供たちに対して非常に夢を与える。それだけに自分の言動とかに対しては「人間として責任があるんだ」という自覚も逆にあって、ボランティアとか、福祉活動とかに対して熱心な人も多い。日本人の我々が恥ずかしくなるような素晴らしい、スポーツ選手としても人間的に一流の人が多いですよ。全体に同じ競争でも、それを通 して人間を磨き、高めていく要素が入ってくるんですね。
 しかし、僕は僕の少ない経験で言いますと、やはりスポーツの世界で頂点に立つためには、どっか人の心を見抜いたり、人の弱点を瞬時にわかったり、それから天才的なセンスだけじゃなくて、どこかにずるさとか、賢さとか、そういうものがやっぱり必要だと思うんですね。野球のピッチャーに多いように自分の我流を押し通 す、先天的にそういうものを持った人たちがやっぱり競争には向いていると思うんですね。だが、そういう人たちが、スポーツを通 して人間的に磨かれていって、勝つためにはすごく大事でも、それと共に自分を磨いて行く必要があるんだというふうになっていくわけです。だから、人格者が強いとは、必ずしも限らないんです。
 もう一つ言いますと、実は私はものすごく悪かったんです(笑い)。今から三十三年前、小学校四年の時に「山下がいるから学校に行けない」という登校拒否の子がいました。

■松山:いじめっ子ですね。

■山下:そうです。僕は自分は多少いい方に解釈している。「根っからワルじゃない」と。ただエネルギーがあり余ってた。そのあり余ったエネルギーをうまく発散できなくて「それがそれが悪いほう悪いほうへ行ってしまった」と思っていて、これが柔道を始めたきっかけです。松山さんは何かスポーツはやられていましたか。

■松山:バスケットボールを三年間やっていました。確かに「なんでこんなに腕立て伏せをやったりしなければ」とか、運動場十周には「なんでこんなに」とか思いながらも、三年の間に本当に自分自身が成長していったような気がするんです。先輩後輩の礼儀作法から、モラル的なものを教えられたなと思いますね。そこで、先生は体育を究められた人として、今度の教育改革国民会議のメンバーとして、一番強く先生が訴えられたことを少しお話しいただけますか。

■山下:実は国民会議では、体育、スポーツの話はほとんどしませんでした。私はシドニー五輪の監督に専念するために、集中討議の期間を欠席せざるをえなかったんです。ただ、基本は「初めに体育ありき、初めにスポーツありきじゃない」と思うんですね。いかに次の時代を担う青少年を教育していくか、その部分がまず一番に論議されていくべきで、その問題をどういうふうにして克服していくために、どういう施策が必要かと。そこで「心の教育」がいわれていますが、家庭教育がもっと必要です。基本はそこです。それに地域教育、社会教育部分が非常に欠落しています。その部分の充実を図らないといけない。その中で学校に期待されるものが大きい。僕は一連の課題を克服し、本当に人間として大切なところを伸ばしていくためにスポーツの果 たし得る役割は大きいと思います。

■松山:具体的にはどういうことが挙げられますか。

■山下:スポーツにはルールがあり、覚えなければいけない。自分一人ではできません。他の人と力を合わせながらやっていく部分が多い。我慢とか、忍耐も必要です。他の人と協力していく部分もあるでしょう。人間関係を育む上では教室ではできない部分がある。それからスポーツを通 して丈夫な体をつくります。仲間と連携の中で相手を思いやる心、礼儀作法も自然と身につくと思うんですよね。そして私は子供たちの悩み、ストレスを解決し、子供たちに明るい笑顔、輝く瞳、自然に親しみ、他人を思いやる心、生き生きとした子供たちに戻してやる責任がわれわれにはあると思います。

■松山:おっしゃる通りだと思います。今はよく「家庭、地域、学校の三位一体で」と、いいますが確かに地域の触れ合いがないと心の教育は本来できないと思う。そういう意味では、スポーツは地域が一体となって触れ合うに一番ふさわしい。奉仕活動もおっしゃっていますが、地域の人たちが一体となって奉仕活動をしていくのは、ルールを作り上げるのも難しい作業かなと思いますが、しっかりしたそういうルールや地域ぐるみのスポーツを通 した人づくりが確率でき、だれもがどれかに参加できるようになるといいと思いますね。
(後編略)



●山下後述
この後も、私自身が祖父から教えられたこと、恩師から教えられたことなどをご披露して次の時代を担う人々、子供たちのためになにができるかを語りました。 長い文章になりましたが、篠原の問題についての私の思いはここに集約されています。




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