| 最近の雑誌・新聞インタビューダイジェスト 私が最近考えていることを理解して頂くためには、最近あったいろいろなマスコミ関係の人とのインタビュー記事を読んで頂くのが早いと思います。読んで頂いて、私の考えに対して、様々なご意見を頂きたいと思います。 |
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致知 第1回目 (2001年1月号) 【対談】山下泰裕×神渡良平 シドニーオリンピックで学んだもの 一流への道は無窮
■神渡:山下さんとは電話では何度か話をしていましたが、お会いするのは今日が初めてですね。 ■山下:私は以前から神渡先生の著書のファンでして、「春風を斬る」も目頭を熱くしながら読ませていただきました。「下坐に生きる」も学生や柔道関係者に読むように薦めています。 〜中略〜 「致知」は十数年前に、営業の方がみえられて、その縁で購読していたんですが、その頃はまだそれを読むに値するというか、それに相応しいレベルに達していなかったんですね。来た本をどんどん積んでおくだけで一年がたった。そうこうしているうちに全然こなくなって、ああ、契約が終わったのかな、と。 結局、二回目に出会ったのが、6・7年前です。その時に読んだら、内容にものすごく引かれたんですね。 そこでひとつ学んだのはどんないいものであっても、その人のレベルというか、そういう状態にならないと、出会わないということですね。 ■神渡:機が熟さないとね。 ■山下:だから、私が「春風を斬る」を読んでものすごく感動して、いい本だよと他の人に薦めても、その人は十分の一も得るものがないかも知れない。だから、どんな本でも自分自身のレベルがある程度高まっていかないといかんのかなという気がします。 自分の夢に挑戦できる権利 ■神渡:男子監督として選手たちに一番強調しておられたことは何ですか? ■山下:まず、選手に対していつも言っていたのは、やり残しが無いようにしろ、と言うことです。終わった後に、こうしておけばよかった、もっと頑張ればよかった、と思うのではなく、やるべきことをやり尽くして、やり残すことなく試合に臨もう、と。これが私が一番いったことというか、四月にシドニーオリンピックへの代表が決まった後の合言葉でした。 ■神渡:なるほど。完全燃焼することを合言葉にされたのですね。 ■山下:いろいろ期待されて、選手によっては何かものすごい重い荷物を背負わされたり、断崖絶壁に立たされたり、そういうふうに思う選手もなかにはいるらしけど、私に言わせれば、とんでもないよ、と。そう思うくらいなら、わずかな差で代表に選ばれなかった選手に代わってやれ、と。代表に選ばれなかった選手が落ち込むのならわかるが、自分の力で代表権を勝ち取って、自分の夢に挑戦できる権利を勝ち取った人間なんだから、おまえら自身がいきいきと輝かなかったらおかしいじゃないか、とよく選手に言ったものです。 実をいえば、私自身がロサンゼルスのオリンピックに初めて出場したとき、日の丸とか日本柔道とか、そういうプレッシャーは感じなかったんです。 ■神渡:ほう。それはどうして。 ■山下:それまでは、俺が負けて「山下敗れる」と書かれるのならまだいいけれど「日本柔道敗れる」と書かれたらたまらんな、柔道は7階級も8階級もあって、俺一人が負けただけで「日本柔道負ける」では俺はたまらん、と思った時期もありましたけどね。ロスオリンピックではそう思わなかった。 実は、ロスオリンピックは、それまでで一番緊張した大会でした。でも、それは全然緊張の意味が違うんです。自分の夢を実現したい。自分のやってきたことは正しかったんだ。それを実証したい。そういう意味の緊張でした。 ■神渡:体力的にいえば、日米英がボイコットした1980年の幻のモスクワオリンピックのときが一番ピークだったんですよね。 ■山下:ピークというか、一番いきがよかったですね。勢いがありました。 ■神渡:体力的な意味では、山下さんにとって最後のオリンピックだったわけですね。 ■山下:はい。ですから、あくまでも自分のために戦う。そういうふうに思えた自分が僕は素晴らしいと思うんです。やはり一生懸命やっているのは、自分のためなんですね。だから,自分のために頑張るというのは、ものすごく自然だと思うんですよ。 それからもう一ついいますとね。その置かれた状況というのは冷静に判断すると、自分の理想とする姿なんですよ。それを、周りが違ってとらえるのはおかしんじゃないか、と。 前回のアトランタオリンピックで初めて監督を引き受けたとき、記者さんがみんな「大変ですね」という。そんなとき私は「何がですか」ってとぼけるんです。監督とくとして責任重大で、プレシャーが大変だろうと心配してくれているのでしょうけど、大変だ大変だと思うくらいだったら辞めたほうがいいと思うんですね。こういう大舞台の監督を任され、おまえ頼むぞといわれる。これに対し、感謝の気持ち、ありがたいという気持ち、よしやろうと言う気持ちがなかったら、辞めたらいいんです。 だから、私はアトランタのときにいいました。一番寂しいのは、一生懸命頑張っているのに、周りがまったく評価してくれなかったり、まったく期待してくれないことです。それに比べれば、期待されすぎても、みんなが注目して頑張れよと期待してくれる。ありがたいです、と。 日本には、柔道の指導者はたくさんいます。山下は選手としては確かに一流だ。しかし、指導者としては俺のほうが上だと思っている人もたくさんいるはずです。そおういうなかで「おい山下、おまえに任せる」と4年間全権を任されて、これをありがたいと意気に感じなかったらどうしますか。 ■神渡:男冥利に尽きますね。それに発想がまったく逆ですね。プレッシャーと感じるのではなく、最高の桧舞台が用意されたのだと感じる! ■山下:ましてこの地(アメリカ)は12年前自分が選手として初めてオリンピックに出て、右足を負傷しながらも金メダルを勝ち取ったところです。12年後に指導者として日本チームを率いて来られる。こんな喜びがありますか。後は選手を信じて思い切りいくだけですよ、とアトランタのときは記者さんに正直に心境をはなしたんです。ところが、それを聞いた記者さんたちは、ああ、そういうふうに一生懸命思い込もうとしているんだ、と(笑)。 いかに自分の力を出し切るか ■山下:こういう点が、ぼくが普通 の人と違うといわれるとこなんですが、今回のオリンピックでも、選手によくいったのは、「大事なのは勝ち負けじゃない。おまえがこれまで4年間ずっとやってきたことを全部出し切ることだ。最後の最後まで自分を信じて戦うことなんだ」と。試合中に集中すべきことは、いかに自分の力を出し切るか、それだけなんだよ。それ以外のことは考える必要はない、と。 その力を出し切った結果として、自分の夢が実現し、それが周りの人の期待に応えたり、多くの人に夢や感動を与えることになるんです。 ■ 神渡:監督からそういう話があったから、オリンピックに臨むまでに、みんなプレッシャーから解放されていったのでしょうね。 ■ 山下:みんなやるぞ、自分の全てを掛けて戦うぞ、という気持ちを持ってくれたと思っています。やはり、最初のころの篠原信一はかたかった。 〜中略〜 ■山下:これは、不思議なことなんですが、自分でも非常に矛盾に感じる部分をこの2・3年持っているんですね。 というのは、かつての日本の柔道というのはマナーが悪かったんです。負けると、みんな帰ろうといって、帰ってしまう。ぼくは日本選手が少しでも真の柔道家に、真のリーダーに近づきて欲しいと思っていますから、負けても、やせ我慢でも、最後まで残って表彰式を見届けて、入賞した選手に拍手を送って帰ろうじゃないか。悔しい、無念の気持ちはある。でもそれをまた次のエネルギーにしていこう。負けても、最後まで残って勝者に対してエールを送るのは真の強者じゃないか、と。 監督がそういうものですから、私より下の者はみんな残るわけです。 ■神渡:それでこそ真のスポーツマンシップというものです。 ■山下:そういうことを続けてきましたから、ここ2・3年のことですが、ロシアが勝とうが、フランスが勝とうが、どこの国が勝っても勝った監督に、いやあ、よかったなあ素晴らしい試合だった、と心から祝福できるようになり、いつのまにか試合開場から敵がいなくなったんです。 それで何を相手に戦っているんだろう思ったとき、そうか、相手を蹴落として上に立つ戦いでなくて、それまで自分が培ってきたことを発表する、自分の力を出し切る舞台なんだ、と思えるようになったんです。 そのとき、ああ、やっぱりもう勝負士としてはシドニーがちょうどいい引き時だな、と。選手時代を含めてアトランタまでは、相手を引きずり落としてでも自分がうえに立とうと思っていた。何が何でも一番だ、ルールのある喧嘩だ、やるかやられるかだ、殺すつもりで行かないといかん、思っていた。試合のときに相手に向かっていく私の目は殺人鬼の目をしているといわれて、そのぐらいやって当たり前だと思っていた。でも、いまは違うんです。 |
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