
柔道の普及で日本理解を目指す
- 山下さんはこの4月、柔道を世界に普及するため、NPO法人柔道教育ソリダリティーを設立されました。そのきっかけをお聞かせください。
2004年4月、モスクワで行われた「日露賢人会議」の席で、経団連の奥田碩会長にお目にかかりました。奥田さんは一橋大学時代柔道部で活躍され、私の活動にも関心を持っていてくださったのです。その後対談集「武士道とともに生きる」も出版することができ、おつきあいが深まったのですが、奥田さんは「山下さんは柔道普及のためにいい活動をしているけれど、資金集めなどにも自ら率先して収り組んでいて忙しすぎる。それなら小さくても何か組織をつくって、広く浅くお金を集め、山下さんは本来の活動に力を入れてはどうですか? 何かあれば協力しますよ」とおっしゃってくださいました。そこでNPO法人を設正しようという気持ちになったのです。
それまで私は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事として世界を回ってきました。柔道をしている人は、世界中どこでも日本の文化に興味を持っています。例えばロシアのプーチン大統領は柔道の有段者で愛好家として知られていますが、「柔道はただのスポーツではない、哲学である。それは政治家としての活動にも生きている」とおっしゃいます。柔道では最初に戦う相手に礼をし、「ハジメ」の声によって競技をスタートさせます。大統領はその理由を最初のうちわからなかったそうです。しかし続けていくうちに意味を理解し、日本語や日本文化にも興味がわいてきたということでした。大統領だけでなく、柔道を通じて日本に興味を持ち、柔道によって生き方を学んでいる方はたくさんいらっしゃいます。
ところが、世界の国々を歩いていますと、柔道と関係ない人は日本のことをあまりにも知りません。長い歴史、豊かな自然、その中に神々が宿るという考え方、相手を敬う心。それらを日本は誇るべきですが、関心を持ってもらえないのではしかたないですね。また、柔道をやりたくても貧しくて柔道着を買えないという国もたくさんあります。指導者がいない、畳もない。
そういうところで柔道をやっている人たちは、相手をやっつけるためだけの戦いだと誤解してしまうのです。私は世界に柔道の心を伝えたい、そう思って、これまでは国際交流基金、外務省、JICA、企業などの支援を得て活動を続けてきました。これまでに国内で集めたリサイクル柔道着を3万5000着贈ったのもそのひとつです。年間50名の指導者を海外に派遣しました。こういう活動をNPOで引き継いでいくつもりです。
- 息の長い活動を続けなければ、本当の日本理解にはつながりませんね。諸外国からの依頼も多いのではありませんか?
例えばイラクからは戦争で国土が荒廃したため、日本に柔道振興を支援してほしいという依頼がきました。その声にこたえて様々な支援を行い、福岡で開かれた国際中学生柔道大会にも選手を招聘しました。また、ロシアの北オセチア共和国で起きた学校へのテロで生き残った子供たちも呼びました。大けがをしたという子供たちが本当に喜んでくれ、プーチン大統領にも感謝されました。北京オリンピックを控えた中国の男子チームの指導にも取り組んでいます。12月には柔道の女性指導者の地位向上を目指して福岡でセミナーを開きます。
「自他共栄」の心を持とう
- 大学での指導や国際柔道連盟の活動など、非常にお忙しいはずの山下さんがなぜまたNPO活動を、という声もあるのではないでしょうか。
柔道の創始者嘉納治五郎には「自他共栄」とう言葉があります。私自身の夢はロサンゼルスオリンピックの金メダルで現実のものになりました。その4年前のモスクワオリンピックは日本がボイコットしたため、私は参加できませんでした。当時の各階級の代表選手は、私以外誰もロサンゼルス大会に出場できなかった。それだけ日本の選手層は厚かった。私はたまたま若かったから何とかなったんですよ(笑)。
たしかに私も努力しました。命を削るような稽古をしたものです。だけどそれだけじゃない。他の人の支えが大きかったと思います。それを社会に返すのは当然のことです。NPO活動するのも恩返しの一環です。
- 山下さんの考え方は、起業家や、これから起業しようとする人にも学んでほしいと思います。成功したから自分だけがぜいたくをするというのでは、寂しい気がします。
本当ですね。私は起業して成功するのは本当にすばらしいことだと思います。私が色紙に書く言葉はいつも「挑戦」です。起業家はまさに挑戦する人たちですよね。だけど、その人の成功は自分だけでできたものではない。そう思って過信やおごりになります。
そもそも何のために会社を起こすのでしょうか?お金が欲しい、それも悪いことではないでしょう。その思いが実現したら満足に浸るのではなく、社会に還元してほしいと思うのです。
よく「ギブアンドテイク」といいますね。私はまずギブがあると思っています。自分が何かほかの人にできるのは幸せなことですよ。それはいつか予想もしない形で返ってくるものです。
もっとも私だって20代の時からこんなふうに考えていたわけではありません。けれど、自分だけではどうしようもない現実にぶつかる時がありますね。私にとって、モスクワオリンピックがそれでした。その後骨折もあり、苦しい時期が続きました。でもそういう時、不思議な天の声が聞こえたんです。「おまえは今までよく頑張ってきた。でも世の中は思うようにいくものではない。今は体を休めて柔道について考えてみる時期だ」と。その時期があったから、次のオリンピックで金メダルを獲得できたのだと思います。
今は世界的に勝ち組、負け組みがはっきりしてきましたよね。そういう時代こそ、日本が大事にしてきた利他の精神や、弱者に対する惻隠の情(思いやりの心)が大きな意味を持ってくるはずです。また、「儲けたら社会貢献します」というだけではダメだと思うんです。企業の理念の中に、最初から社会貢献の心が入っていることが重要です。会社の発展と社会の発展を同時に追及していくのは大変なことだし、勇気や決断が求められます。でも、それにあえて挑戦する人が増えてほしいですね。自分が豊かになるだけでなく、世の中をよくしていこうという心を少しでも持つ。それが千人分、一万人分集まったらとても大きな力になるのではないでしょうか?長い意味で人生を成功させられる人は、必ずそういう思いを持っていると思います。
私は柔道を通じて日本の深い心を伝えたい。
正しく学べば、必ず日本文化に興味を持ち、日本を理解してくれるはずだから。
この4月にNPO法人を設立したのは、私を支えてくれた人たちと柔道への恩返しのため。
誰もが会社を設立する時から、社会への貢献を理念として取り入れてみてはどうか。
すべての起業家がそうなれば、社会はきっと変わる。
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