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Japan/Pacific INTERVIEW 3月号 <英文はこちら


山下 泰裕(やました・やすひろ)
グローバルスポーツとなった柔道。この格闘技の魅力はその強さとともに、極めて教育効果が高いという点にある。日本のみならず世界の柔道界を代表する山下泰裕さんに、21世紀柔道のあり方について聞いた。

J+ 柔道のグローバル化はどれぐらい進んでいるのでしょうか?
山下 現在、国際柔道連盟の加盟国は195カ国で、オリンピック種目の中では陸上やサッカーに次いで多い数です。オリンピックには、フェンシング、ボクシング、テコンドー、レスリング、柔道という5つの格闘技がありますが、当然この中で最も普及しているのが柔道です。オリンピックのメダリストも世界各地に散らばっていますし、世界で最もグローバルな格闘技だと言ってもいいでしょう。
 今、オリンピック種目の見直しが検討されていて、2012年のロンドン大会から野球やソフトボールが正式種目を外される予定ですが、柔道に関してはそういう問題はまったく出ていません。以前、ジャック・ロゲIOC会長にお目にかかった時、「柔道では、たとえ審判が誤審をしても、対戦相手への敬意や尊敬を忘れない。こういうスポーツはオリンピック種目の中でも非常に少ない。これからも、こうした美点を大事にしていってほしい」と言われました。ドーピングで検挙される選手が極めて少ないスポーツでもあり、日本で生まれた柔道は、世界の近代スポーツの中でしっかりとした地位を築いていると言えるでしょう。

J+ しかしながら、世界一のスポーツ大国アメリカでは柔道が不人気だそうですが、本当ですか?
山下 確かに、アメリカでは柔道よりも空手やテコンドーの方が人気です。アメリカにおけるテレビのオリンピック放送で柔道が生中継されたのは、私が金メダルをとったロサンゼルス大会以来ないそうです。アメリカでは柔道はマイナースポーツの一つだと言ってもいいでしょう。
それなら、こうした状況を打破し、アメリカで柔道が人気スポーツとなるためには何が必要なのか?こうした疑問を、私は巨大メディアNBCの副社長に投げかけたことがあります。その時返ってきた答えとして、「用語が英語になること」、「選手の感情が表に出ること」、「投げ技のポイント制」などがありました。
 近年では、カラー柔道着や試合の延長方法が導入され、柔道はより分かりやすい方向に進んでいます。アメリカ人に分かりやすいという点では、日本語よりは英語の方がいいのは言うまでもありません。そして、もしかしたら、畳よりもマットの方がいいかもしれません。
 しかし、私は柔道の基盤となる部分は、体を張ってでも守っていくべきだと思っています。それは、「日本語」と、「相手を思いやる礼法」と、「一本を大事にする姿勢」です。なぜならこうした部分を失ってしまったら、それはもはや柔道ではなくなってしまうからです。特に礼法というのは、柔道の根幹をなす重要な部分だと信じています。対戦相手に勝ったからと言って、ガッツポーズで敗者に勝利を誇示することは柔道では慎むべき行為とされています。

J+ それは、なぜですか?
山下 柔道では「惻隠の情(憐れみの心)」を重要視するからです。これはサムライのモラルである武士道から来た考え方ですが、弱い者、失意の者に対しては、惻隠の情を持って温かく手を差し伸べるのが基本なのです。
それに、柔道では対戦相手は決して敵ではありません。相手がいて初めて自分を磨き高めることが出来ると考えます。相手がいるからこそ、自分自身が成長できるのです。ですから、相手に対する尊敬の念を常に抱くように教えられています。
 そして、その心を形にして外に示すのが「礼法」なのです。格闘技ですから相手を倒すことが重視されるのは言うまでもありませんが、それ以上に、礼法によって尊敬の気持ちを相手に示すことが大切なのです。柔道は礼に始まり礼に終わります。おそらくこうした構造をもったオリンピック・スポーツは、柔道以外にはあり得ないと思います。

J+ 柔道はどのようにして生まれたのですか?
柔道を創設したのは、アジアから初めてのIOC委員となった嘉納治五郎です。今から120年前のことです。彼が柔道を創建した目的というのは、柔道を通して、心身を磨き高め、世の中の役に立つ人材を育成していくことでした。彼は、非常に高い教育的な価値をもったものとして柔道を作り出しました。そして当時たくさんあった柔術の流派をまとめて、それを「道(大自然の理法)」と名付け「柔道」としたのです。
 それまでの柔術は、護身や捕縛などの技術を中心としていて、教育的な配慮は皆無でした。それに対して嘉納治五郎師範は、イギリスの哲学者スペンサー(Herbert Spenser:1820-1903)の「教育論」などの要素も採り入れながら、そこに日本人としての生き方やあるべき精神を盛り込んでいったのです。
 現在、日本には剣道、空手道、合気道、茶道、華道、弓道などがありますが、当時、「道」が付いているものは一つもありませんでした。技術の習得を目指すだけでなく、そこに人間としての生き様を投影していこうという発想は、彼によって編み出されたと言ってもいいのです。

J+ そうした嘉納治五郎の精神は、現代にも受け継がれているのでしょうか?
山下 「勿論です」と胸を張って言いたい所ですが、それがそうでもないのです。1964年の東京大会で柔道はオリンピックの正式種目になりましたが、無差別級でオランダのへーシングに敗れました。それ以来、日本柔道界の目標は世界で勝つこと、これが至上命令となりました。しかし、現実にはなかなか勝てなくなる一方でした。ソウルオリンピックでは金メダルが一つとなり、日本が金メダルを取れないXデイがいつかやってくると日本の柔道関係者は戦々恐々の思いでした。そういう状況が続く中、柔道が最も大切にしてきた精神性が蔑ろにされ、勝ち負けだけに拘るようになり、創設者が目指した柔道と次第にかけ離れていく傾向にありました。
 勝利を目指して自分の限界に挑戦していく。そのこと自体は素晴らしいことです。それを通して、その人間も作られていけば理想的です。しかしそれが次第に、勝てもしない人間が柔道はどうあるべきだとか、何を奇麗事を言うんだ。結果が出なければ何の意味もないじゃないかという風になってしまったのです。

J+ それは柔道の危機ですね?
山下 そうなんです。しかしこうした風潮に対して、このまま進んでいくと、これでは柔道が目指したものと形は似ていても似て非なるものになってしまうのではないかという懸念が柔道界に高まっていったのも事実です。嘉納治五郎師範に、「伝統とは形を継承することではなく、精神を継承することを言う」という言葉があります。この言葉に照らし合わせてみて、私も自問自答を繰り返しました。現代の柔道人は本当に柔道を継承してきたのだろうか?勝ち負けだけを求めてきたのではないか?あるいは形だけを、目に見えるものだけを求めてきたのではないか?もっと奥底にある理念や目的をもう一度考え直す必要があるのではないか?10年ほど前から、そうした思いを柔道界の先輩方やリーダーに熱く訴えてきました。
 そして21世紀、2001年から、日本柔道界が一丸となって取り組む「柔道ルネッサンス」が起こったのです。これは創設者の理想の原点に立ち戻り、柔道を通した人間教育の側面をもう一度大事にしていこうという運動です。これは私自身がこの10年来唱えてきたことと一致する動きで、現在、私はこの運動に夢中になって取り組んでいる最中です。

J+ 山下さんは日本の柔道界を担っていく重鎮であり、同時に世界柔道連盟の教育コーチング理事でもあります。柔道ルネッサンスの精神は世界にも伝わるのでしょうか?
山下 コーチング理事に選出されるに当たって、私は三つの公約をしました。第一に、柔道をオリンピック・スポーツとしてさらにダイナミックで魅力的なものにすること。第二に、柔道の世界的な普及発展のために全力を尽くすこと。特に貧しい国々に対して、柔道着を贈ったり、指導者を派遣したりして出来る限りの支援をしていく。そして三番目に、柔道の持つ教育的な価値を大事にすること。つまり、嘉納治五郎師範が目指した柔道の精神を世界にも再認識してもらいたいということです。
 この三番目の公約を考える上で、大いに考えさせられたことがあります。それは、ロシアのプーチン大統領と出会ったことです。2003年のサントペテルブルグ建都300周年の際、大統領が通った柔道場で、私は小泉総理とともに大統領に会いました。その会談の翌日、プーチン大統領のインタビュー番組がNHKで放映されたのですが、帰国後そのビデオを見てびっくりしました。大統領は「柔道は単なるスポーツではなく、私にとっての政治哲学でもあります。世界の捉え方、相手との関係の築き方のもとになっています」とはっきり述べているのです。
 そして大統領は、「柔道が私の人生を変えた」と言っています。「私はガキ大将になるために体を鍛えました。ボクシングをしてみたり、レスリングをしてみたり、そうしていくうちに柔道に辿りついたんです。柔道との出会いは、私に転機をもたらしました。考え方や人生観、人の接し方も変わりました。私はどちらかといえば短気な方で、すぐに頭に血が上ってしまうタイプでした。でもそれが好ましい結果をもたらさないことを、柔道を通じて学びました、大切なことは自分の気持ちを抑えることで、冷静になればどんな状況でも素早くかつ適切に対応することが出来ます。そういう教訓を私は柔道から得ました」
 私はこのビデオを何度も観て胸が熱くなる思いがしました。私と大統領を比べると、黒帯である大統領もかなり猛者だと思いますが、世界を制覇した私の方が遙かに強いと言えます(笑い)。しかし、どちらが柔道の神髄を学んでいるかというと、大統領の方が私よりも遙かに学ばれていると思うのです。大事なことは、柔道選手として技を極めるだけでなく、柔道で学んだことを自分の人生に活かしていくことなんです。これこそが、嘉納治五郎師範が最終的に求めていたことなんです。
 私は柔道ルネッサンスを世界に広めることも大事ですが、そうした柔道精神を体得した海外の柔道家に学ぶべき点も実に多いのだということを大統領に会って強く感じました。日本は「柔道を生んだのは日本だから、日本以外の国々は日本の後を付いてくればいいんだ」という奢りがどこかにあります。今後はこうした考え方を改めていかないと、柔道自体の発展もあり得ないと思います。

J+ 柔道の真髄とは何ですか?
山下 嘉納治五郎師範は、柔道のあるべき姿を表現して、「精力善用、自他共栄」という言葉にまとめています。これは、己のエネルギーを最大限に活かして善きことに務め、相手を敬い、自他とともに栄える世の中を築くことを言います。ここには、柔道精神のエッセンスがあると思います。
 2001年、イタリアのジェノバで開催されたサミットで、イタリアのベルルスコーニ首相が各国首脳に記念品として『柔道わが人生』と題した本を進呈したそうです。もとはロシア語によるこの原著の著者三人のうち一人がプーチン大統領です。そして首相からのメッセージとして、「嘉納治五郎師範の説く精力善用・自他共栄の精神こそサミットに集う首脳に最も期待される精神だ」と書かれていたそうです。日本で生まれたこの精神は、もはや柔道界や国家の枠を超えて、全世界の人類に共通して求められる姿勢になりつつあると言えるのではないでしょうか?

J+ 特にグローバリゼーションが進み、勝者と敗者の差が著しくなってくると、そうした柔道精神の重要性はさらに増すでしょうね?
山下 その通りです。強者の論理が支配力を増していく21世紀世界の中で、「勝ち」「負け」を超越した価値観をもつ柔道精神というものが果たすべき役割は大きいと思います。柔道というのは武士道の系譜を受け継ぐ武道の一つですが、私はこれから世界の人たちに武士道の持つ優れた点を再評価していってもらいたいと思っています。例えば、「弱い者を虐めてはいけない」とか、「自分が強いから威張るな」とか、「負けた者に対しては憐れみの心を持て」という教訓は、武士道精神の基本的な考え方です。
 戦後、日本人は武士道精神を否定され、そのサムライの心を失ってしまいました。しかし、武士道精神にも素晴らしい点はたくさんあったのです。戦争中に戦意を高揚するために武士道精神が悪用されたのは事実です。しかし、だからといって、いい部分も含めて根こそぎその精神を葬ってしまったのはとても残念なことでした。
 特に『ラストサムライ』を観て、それを実感しました。私の知り合いの柔道関係者もあの映画を観て、「涙が流れた」と言う人が何人もいました。殆どが外国人ですが、ある人などは、「この映画は素晴らしい。この映画が広がることが、日本というものを世界の人々によりよく理解させる役割を果たすんじゃないか」としきりに言っていました。私も映画を観て泣きましたが、それはなぜかというと、あの中に日本人が無くしてしまった美しい心、つまり武士道精神が描かれていたからなんです。
 柔道には、現代日本社会が失ってしまったそうした武士道精神がまだ残されています。かなり失われてしまったかもしれませんが、それを取り戻すことは可能です。サムライの子孫である私たちは、柔道を通してこの美しい日本の心を少しでも世界に伝えていきたいと思っています。【インタビュー:近藤久嗣】

プロフィール/柔道8段。1979年、81年、83年、世界選手権95キロ超級3連覇、81年、世界選手権無差別級優勝。84年ロサンゼルス・オリンピック無差別級優勝。85年、203連勝にて現役選手を引退後、アトランタおよびシドニーオリンピック日本監督を経て、現在は東海大学体育学部教授。国際柔道連盟教育コーチング理事でもある。



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