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第3回中東文化交流対話ミッション
「サムライ精神と社会発展」シンポジウムにおける講演
平成17年9月15日(木)、於土日基金文化センター
Thank you chairman. Let me speak Japanese.

 今回の中東文化交流対話ミッションのメンバーとしまして、初めてこの歴史あるトルコ共和国を訪問できたことを大変嬉しく思っております。トルコの柔道は世界でもかなり活躍しております。特にタトルウルグ選手、彼は欧州チャンピオンに5回、それから世界選手権でメダルを4回とっています。それからオズカン選手、彼はシドニーオリンピックの金メダリストです。それからデミレル選手、ヨーロッパチャンピオン、それから世界のメダリスト。あと、女子でも最近ネシエ選手が世界選手権でメダルをとったり、素晴らしい成績をあげております。私自身もいろんな試合会場で彼らと交流をしておりまして、トルコに非常に親しみを感じておりますし、今回のこの訪問を非常に楽しみにしておりました。今日は、私の柔道人生をとおして感じたこと、学んだこと、そして今一生懸命取り組んでいる国際交流について話をしたいと思います。

 まず、私の場合、どうしても柔道を始めたきっかけを話さなければいけません。小さい頃から体が大きかったんですけども、それだけではありませんでした。大変な暴れん坊でした。問題児でした。私がいるから学校に行けない、そういうクラスメイトもいました。両親がそういう中で私に柔道を勧めた訳です。私の家では柔道をやった人間は誰もいないんですけども、ただ両親の頭の中には柔道というのはただ技術、体力を磨くだけじゃない、その精神を高めてくれる、そういうような想いがあったそうです。そういうことで、私は10歳の時に柔道を始めました。ま、しかし、両親の期待に反して私の行いは良くなりませんでした。中学校に入って、非常に素晴らしい柔道の指導者と出会いました。この先生をとおして、私自身が変わっていった訳です。私が進んだ中学校の柔道部は日本で一番強い柔道部だったんですけれども、この先生は我々に試合で勝つための技術、体力だけでなく、柔道をやる人間としての在り方、心構え、これを我々に繰り返し繰り返し話をして下さいました。

今日は時間が限られてますので、一つだけ先生がよく言われていたことをお話しましょう。先生は我々にこう言われました。「柔道を一生懸命頑張って柔道のチャンピオンになることは素晴らしい。しかし、もっともっと大切なことは、柔道を通して得たことを生かして人生の勝利者になることなんだ。柔道のチャンピオンになることは価値があるけど、それを実社会で生かしていくことが大事なんだよ、そしてそれを生かして人生の勝利者となっていくためには、柔道だけじゃない、スポーツだけじゃない、勉強もしっかりやりなさい、よく言われました。日本では昔から「文武両道」という言葉があります。文も武も両方備えて初めて一人前の人間である。こういう素晴らしい恩師と出会って私自身が変わっていくんですね。14歳の時に、私は一つの大きい夢を持ちました。それを文章にしたんですけれども、柔道を大好きだった私は、一生懸命柔道の稽古に励んで将来はオリンピックに出られるようなそんな選手になりたい、そういうことを文章にしました。で、実は、この夢が幸運にも現実のものとなったわけです。
1984年、私はロサンゼルスのオリンピック大会に出場しました。私には実は3度のチャンスがあったんですけれども、1度目が1976年のモントリオール・オリンピック、残念ながらもう少しの差で代表を逃しました。補欠になりました。2回目は1980年のモスクワのオリンピックでした。しかし、日本はこのオリンピックをボイコットしました。それで出場できませんでした。3回目のロスのオリンピックで私に大変なことが起きました。右足、軸足のふくらはぎを肉離れしたんですね。足を引きずりながら戦う、非常に苦しい試合になりました。それでも幸運にも決勝まで進みました。決勝で戦ったのはエジプトのラシュワン選手。最終的に私がラシュワン選手を押さえ込んで、そして私は夢であったオリンピックの金メダルを獲得しました。試合が終わった後、マスコミからこのエジプトのラシュワン選手に対して質問が集中しました。「何でお前は山下のあの怪我した足を攻めなかったのだ。怪我した足を攻めたら、お前が山下に代わって、あの一番高いところに登れたじゃないか。何でそういう戦いをしなかったのだ。」。彼はこう答えたそうです。「私はムスリムだ。私にはイスラムの誇りがある。そんなアンフェアな戦いはできない。」。そして、彼はユネスコのフェアプレー賞をもらいました。決勝が終わって、表彰式に臨んだ時にも私はかなり足が痛みました。足を引きずっていました。私の怪我を気遣って、表彰台に上ろうとする私を助けてくれた、表彰台から降りようとする私を助けてくれた。これも決勝で戦ったラシュワン選手です。彼にはムスリムとしての誇りと、そして柔道家としての誇りと、この2つがあったと思います。実は私はこのシンポジウムに参加する前に、エジプト・カイロで行われた世界選手権の方に2週間参加して参りました。この世界選手権の前に非常に嬉しい出来事がありました。なんと21年ぶりに私とラシュワン選手が柔道着を着て畳の上に上がったのです。
しかし、21年振りに2人で試合をしたわけではありません。2人で300人のエジプトの子供達を前にして、汗びっしょりになりながら柔道教室を持ちました。エジプトの柔道を愛する子供達に私とラシュワン選手の2人で少しでも彼らに夢や希望を与えることができたとしたら、それは私にとってはこの上もない喜びであります。ラシュワン選手だけではありません。世界の戦った多くの選手達、そして多くの世界の指導者の人たちと今でも深い深い友情で私は結ばれております。柔道を通して培ったこの友情、これこそが、私の今の一番大きな財産であるとこう思っています。ちょっと話は変わりますけれども、私は、日本代表の選手として、日本代表チームを率いるコーチ、或いは監督としてたくさんの試合に臨んできました。その中で、私の中で一つの疑問がだんだんだんだん大きくなってきました。それは、日本の柔道が勝ち負けだけを求めて、試合での勝利だけを求めて、その結果柔道人のマナーが、モラルが非常に悪くなってきているということでした。柔道を作ったのは嘉納治五郎師範。今から120年以上前のことですけれども。この柔道を創始した目的として、柔道を通して、柔道の修行を通して、心や体を磨き高めてそして世の中の役に立つ人材を社会に送り出していく、このことを目的として嘉納治五郎師範というのは柔道を創設されました。
私の大変好きな言葉に「伝統とは、形を継承することを言わない。伝統とは、その魂、その精神を継承することを言う」という言葉があります。果たして我々日本の柔道家はその精神を受け継いできたのでしょうか。目に見える勝ち負けだけを求めて、その一番大切な心を、精神を我々は忘れてしまっていたのではないか、そういう疑問が私の中から非常に大きく膨らんでいったわけです。全日本柔道連盟では、2001年から柔道ルネッサンス活動というのを立ち上げました。もう一度柔道創設者の理想の原点に戻ろう、そして勝ち負けだけにとらわれるのではなく、柔道を通した人づくり、人間形成、これを大事にしていこう、そしてこの運動の先頭に立って、中心に立って取り組んでいるのが私でございます。柔道で最も大切なこと、これは相手に対しての敬意、尊敬を示すこと。
柔道では相手の選手は敵ではありません。相手がいて初めて自分を磨き高めることができるのです。相手がいるからこそ、自分自身が成長できるのです。たとえ畳の上では戦っても、ひとたび試合場から下りますと、同じような目標に向かって頑張った仲間なんですね。それからもう一つ柔道で大切なことは、柔道を通して得たものを、培ったものを実際の社会生活の中で活かしていく。このことがまた非常に大事なことです。
なかなか日本的な考え方で理解していただけないかもしれませんけれども、選手達には分かり易くこう言います。若い選手には「柔道を一生懸命頑張ると体が丈夫になるだろう?精神的にも逞しくなるだろう?そして相手を思いやる心ができるだろう?これを普段の生活の中で活かすんだよ。バスに乗っている、電車に乗っている、座ったときにおじいちゃん、おばあちゃん、女性の方がこられたらパッと立って席を譲る、或いは誰か知っている人が重い物を持っていたら代わりに持ってあげる、困っている人がいたら助けてあげる。そういうところで道場で得たものを活かすのが柔道の精神なんだよ」。それから柔道のトップの選手、或いは柔道をやめたばかりの選手には次のように話します。「柔道で君がここまで頑張ってきたのは、目標をしっかり持ったからだろう?あきらめないでねばり強く頑張ったからだろう?いろいろと自分で考えて創意工夫を発揮したからだろう?何回失敗しても挫けずに立ち上がったからだろう?これからの人生でそれを活かすんだよ。そして柔道で得たものを実社会で実践して、今度は人生の勝利者を目指すんだ」。こういうことを現役をやめたばかりの選手、或いはトップの選手には話しております。
私の大変尊敬する柔道家の一人に、ロシアの大統領、プーチン大統領がおられます。プーチン大統領は柔道が大好きです。ご自身も強かったんですね。柔道が取り持つ縁で、4回お会いしたことがあります。プーチン大統領はこういっておられます。「柔道がなかったら今の私はない。柔道はスポーツではない。私にとっては哲学だ。私は小さい頃暴れん坊だった。しかし、柔道を通して変わっていった。若い頃は非常に気が短かった。しかし、柔道が私に何事に対しても冷静に対処しなければいけないことを教えてくれた」。今私の前にスピーチされました今井主幹のおられるNHKのインタビューではっきりとこういう風に答えてられております。それからあわせて、「柔道で使う日本語、「礼」、「始め」、「引き分け」、最初はこういった日本語がさっぱり分からなかった。でもだんだんこれが分かるようになって、日本の文化に興味、関心を持つようになった。今では日本文化に対して非常に強く関心を持っている」。私にもこう話されました。
トルコでも同じです。エジプトでも同じです。世界の国々でも同じです。世界の国々で柔道をやっている人々の多くは日本への興味、関心を深く持ち、そして理解が深く、親日家であります。世界の柔道、現在195の国と地域がこの国際柔道連盟に加盟しております。オリンピック・スポーツ、これは28ありますけれども、この28競技の中に5つの格闘競技があります。柔道はこの5つの格闘競技の中で、世界で最も普及しておりますし、インターナショナル・オリンピック・コミティー(IOC)の方でも、最も高い評価を受けております。しかし、そんな柔道ですけれども、貧しくて柔道をやるための柔道着がない、畳がない、一生懸命やりたくても指導者がいない、そういう国々も多い現状です。私は現在、国際柔道連盟教育コーチング理事を努めておりますけれども、日本の外務省、それからジャパン・ファウンデーション、JICA、或いは日本の多くの民間企業、こういうところと協力しながら、そのような貧しい国々、或いはそういう人々を柔道を通して支援していきたいとこういう風に思っております。そして柔道を通して世界の多くの国々と日本を結ぶ架け橋、これになっていきたいし、これを作っていきたいと思っております。毎年、日本から60名ぐらいの柔道の指導者が海外に出ます。1年とか2年長く行く人もいれば、2週間、3週間と短い指導の人もいます。柔道の技術を伝えるだけではなく、その柔道の心、柔道の精神、そして日本の心を伝えながら、細くてもいいから日本と多くの国々を結ぶ架け橋となってもらいたい、そういう想いで多くの指導者を世界の国々に派遣しております。今日も今日の夕方、それから明後日はイスタンブールで、柔道を愛するトルコの柔道家達といっしょに柔道着を着て汗を流します。今回初めての訪問で一緒にトルコの選手達と或いはチビッコ柔道家達と柔道できることを大変楽しみにして参りました。スポーツに限らず、様々な分野でトルコと日本の交流が進み、そして協力関係が、友好関係が益々発展することを心から祈っております。
Thank you very much.




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